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クロスターノイブルク
【hv881.jpg:ホイリゲでのひと時】

クロスターノイブルク Klosterneubugとその周辺(2)

ホイリゲの内庭、グレイフェンステインのドナウ川縁の散策・・たくさんの楽しい思い出をありがとうございました。
マルヒフェルトMarchfeldの戦い・・

オーストリー:ニーダーエスタライヒ州】 [北村 峠一].(Kitamura)      

ホイリゲ
【hv863.jpg:ホイリゲの松の束】

 引き続きクロスターノイブルク周辺の紹介をしましょう。

●ホイリゲHeurige

 カーレンベルクの丘からクロスターノイブルク市内に戻る途中、軽食に連れて行ってもらったのがこのホイリゲ。

 狭い通りの両側は農家の塀が続き、Weinstrasse:ワイン道りのプレートが貼ってあります。ここには何軒ものホイリゲが並んでいて、営業している店先には、シグナルの松の枝が出してあります。農家の内庭での新酒フレッシュワインが楽しみなのですが、今回は車なので、代わりにフレッシュジュースで、ハム・サラダ・ピクルスなどを食べながら・・

ホイリゲ
【クロスターノイブルクとホイリゲの通り】
ホイリゲ ホイリゲ
【r438.jpg:入口には松の束が吊るしてあり、州のワイン通りのカンバンが】 【hv864.jpg:Klosterneuburg Agnesstraseのホイリゲ:Adi & Anni Gruber ,住所など:Agnesstrase 43 3400 Klosterneuburg Tel:02243 32554 】

クロスターノイブルク
【hv888.jpg:ホイリゲの中庭のベンチが心地いい】

赤松の枝の束

●ホイリゲ、赤松の枝の束、日本のスギ玉

 ホイリゲとは「今年」を意味するドイツ語ホイヤーHeuerから転じたもので、「出来たばかりの白ワインを飲ませる居酒屋」。
日本の杉玉  店の前に赤松の枝の束を飾ってある居酒屋は「ただいま新酒あり」のシグナル。マリア・テレジアの息子のフランツ・ヨーゼフ2世(1765-90)が、一部の業者に独占されていたワイン販売権を、ブドウ農家にも解禁したのが始まりとされている。

 日本でも造り酒屋で新酒ができると店の前にスギ玉を吊り下げますが、関連はあるのでしょうか。
 日本で杉の葉が登場するのは、室町時代あたり:1400年頃(月刊:杉)。スギ玉は江戸時代前期:1600年代(岩村醸造)とありますから、日本のほうが300-100年も早いのですが、鎖国などしていた頃と考えると、関連はなさそうですね。

ホイリゲ
【r261.jpg:ハム・サラダ・ピクルスなど】

http://www.shop2001.net/【Klosterneuburger Heurigenkalenderホイリゲの店と営業時間】

●グレイフェンステインGreifenstein-altenberg

 Yさんたちと電車で、ウィーンと反対方向へ10分ほどの小さな村へ。ドナウ(湾状の地)が見えるガストフ・レストランでの魚料理でした。やはり昼のワインはおいしいですね。かわいらしいAちゃんとの食事や、川べりの船でのコーヒー、芝生散策など、楽しい思い出が一杯でした。

グレイフェンステイン
【r302.jpg:ドナウの支流には、川遊びできる場所がたくさんあって】

グレイフェンステイン
【s608e.jpg:係留したボートはレストランや喫茶店などをしている】

グレイフェンステイン
【s603e.jpg:小さなボートも陸に上がっているが、ドナウが増水するとこのあたりも川の流れの中だろう】


●クロスターノイブルクKlosterneuburg市内

 Kierlinger通りに沿った町の広場のフリーマーケット、SUPRの買い物、駅前などから見える修道院の眺め・・・
クロスターノイブルク
【r306.jpg:Kierlinger通りに沿った町の広場にある彫刻。三位一体の塔だろうか】

クロスターノイブルク
【r289.jpg:骨董品市が塔の周辺で行われていた】

クロスターノイブルク
【r303.jpg:鉄道駅付近から見る修道院の教会塔】

クロスターノイブルク
【r269.jpg:クロスターノイブルク修道院南の広場と建物】

クロスターノイブルク
【r265e.jpg:広場の南側】

クロスターノイブルク
【s565e.jpg:Yさん宅から見る市内展望】

グレイフェンステイン 【s610.jpg:】

 Yさん、クロスターノイブルクをベースにあちこち連れて行っていただき、本当に楽しい旅をありがとうございました。

 まだ可愛い声で「ぴひゃー」としか言えない10ヶ月のAちゃんと一緒の3日にわたる近郊の旅、
 カーレンベルクの丘、ホイリゲ、ドナウ川べりの散策、ヴァッサウ渓谷の船旅、メルク修道院などなど・・たくさんの思い出が残りました。

 紹介し予約してもらったアパートメントホテルの快適な3泊の滞在、市内のSPARでの毎日の食材買いだし、部屋でのちょっとした調理、食事・・ゆっくりとくつろげた場所でした。

 ご主人の転勤で今はパリに引越しされたのですね。Aちゃんが3-4歳になって、アルプスを家族でハイキングされる頃に、またご一緒できるといいですね。楽しみにしています。


●ウィーン郊外をチェコに向かう

 クロスターノイブルクからウィーン市内にYさんたちを送り、ここから僕たちはチェコに向かいます。途中通過するドナウ川の氾濫が平坦にした地形のエリアは「マルヒフェルト」という名です。

 ここは、クロスターノイブルクを興した辺境伯バーベンベルク家が断絶(1246年)、ちょうど空位だったドイツ王にハプスブルク家・ルドルフ1世が選出され、当時勢力が大きかったボヘミヤ王・オタカルU世との戦いで勝利し、このオーストリアの地を手に入れたのが「マルヒフェルトの戦い」。

●マルヒフェルトの決戦場:1278.8.26 ウィーン北東

Rudolf I Habsburg
【Rudolf I Habsburg】
Premysl Otakar II Bohemia
【Premysl Otakar II Bohemia】
「ハプスブルク・ルドルフ1世 対 ボヘミア王・オットカル2世の戦いの地」
 1256年より神聖ローマ帝国は皇帝不在の大空位時代だった。当時オタカルU世(Pfemysl Otakar U)が有力な皇帝候補であったが、諸国はオタカルへの警戒から、1273年に弱小諸侯であったハプスブルク家のルドルフ1世を皇帝位につかせた。 Marchfeld
彼は1278年のマルヒフェルトMarchfeldの戦いでオタカルを破り、ウィーンに拠点を移すことでハプスブルク家のオーストリア統治が始まった。

 ハプスブルク家は以降、第一次大戦までの640年ほどをドイツ王、神聖ローマ皇帝、オーストリア皇帝として君臨したが、このマルヒフェルトの決戦が大きなきっかけであった。

 戦場になった「マルヒフェルトMarchfeld」の場所は、ウィーンとブラチスラバの間の広い地です。

 ☆神聖ローマ皇帝【ルドルフ1世】

−−−
 さらに1809年7月5日頃、ナポレオンの最後の戦勝、ヴァグラムWagramの戦いに向け、フランス軍はこのドナウ北岸の平原を扇のように広がりながら前進した場所でもあります。

 ☆1809年7月5-6日:ドイチュ=ヴァグラム【祖国は危機にあり!:フランス革命戦争】



<関連するサイト>

 ○http://www.klosterneuburg.at/【Klosterneuburgガイド】
 ○http://www.jugendheim-gersbach.de/【1529〜1683年のトルコ軍との戦いの絵画】
 ○http://www.vienna.cc/【Directory of all Vienna-pictures】
 ☆ウィーン市街地図【旧市街、シェンブルン、鉄道路線図など】
 ○http://www.wienerlinien.at/【ウィーン列車路線図PDF】

<関連書籍・地図>

ドナウに関する書籍・音楽など
Donauドナウ関連の洋書

<オーストリア・ワイン>

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<関連HOTELなど>

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<以上でオーストリー(1)ドナウ川編を完了し、続いてチェコに向かいます・・・>
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