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pontebba

Pontebba ポンテッバ
 狭い渓谷の先・・・1919年まで、ここはハプスブルク・オーストリア帝国との国境、街道の町でした。

 休日、無人のガソリンスタンド、このセルフの機械はお金を入れたのに故障?給油できません!!
[北村 峠一].(eu-alps)      


 セッラ・ネヴェーア峠から西に、Raccolanaラッコラーナ川に沿った緑一杯の道を下ります。正面の高い位置に高速道路らしい橋が見え、ラッコラーナ村に入りました。その高速の下をくぐり橋を渡って右折、Fellaフェッラ川に沿って上流に向かいます。

raccolana
【79.jpg:Raccolanaラッコラーナ町は、深い・狭い渓谷に国道と高速道路が入り乱れ、Fella川の橋を渡る】

raccolana
【94.jpg:Fella川に沿って上流へ。右手にラッコラーナの古い町並みが見える】

 狭い険しい渓谷です。この道は昔からの街道を一般国道に改造したもの、そしてこの谷にはこの一般道を一本、やっと作る巾しかないのです。そのため、オーストリアから地中海方面に向かう新たな高速道路を作ろうとしたとき、この20数kmの区間は、頭上に見えるような橋とトンネルだけで作らざるをえなかったのです。さらに鉄道も実に70km以上、ほとんどトンネルで山の中を走っています。後で実感しますが、このFriuliフリウリのアルプスの岩はもろく、崩れやすく、勾配もきつく、道路・鉄道を作るのは難工事だったでしょう。

 辺境なこの地、ハプスブルク帝国の時代にはこの付近がベネチュア王国との国境だったのがうなづけます。そして第一次大戦の後1920年に、オーストリア側に大きく領土を得たイタリアも、鉄道・道路整備などに大きな投資を強いられたでしょう。

raccolana
【b6.jpg:またも高速道路が。この渓谷は実に狭いところに、道路・トンネルが入り乱れている。】


 Pontebbaポンテッバの町の標識が出てすぐ、道路わきににガソリンスタンドが見えます。スロベニア国境前で給油しようとしていたのですがスタンドが無く、車の燃料メータも半分を切ったので、そろそろ給油と思っていた矢先。国境が近いので、スロベニアのトラール通貨が使えるかな?と期待していた時でした。すでに先客がいるので、日曜ですが営業しているようです。

 車を停め、給油の機械の前に行き、さてこの入金もセルフの操作どうやって給油するんだ?と書いてある説明を読みますが、イタリア語解りません。あいにく事務所は閉まっていて、店員は居ない。あきらめて他へ行こうかと思っているところに、あの先客のおばさん二人連れが、親切に声をかけてくれます。英単語で。
「ここに紙幣を入れて、リッター数を指定して・・・。10ユーロで10リットル・・・」
「でも細かなユーロ札無いんです、50ユーロ(約7千円)札しか。スロベニアの札はつかえないんですよね?」 (当面10リットルくらい入れておけばいいや、と思ったのです)
「スロベニア札はダメ。50ユーロなら私たちが細かくしてあげますよ」と、おばさんたちは二人の財布の中と、車の中の小銭入れなどを探して、やっと50ユーロをこまかくしてくれました。大感謝です。お礼にと、みやげ用の浮世絵シールを2枚渡しながら話を聞くと、スロバキアからオーストリア経由でドライブしているのだそうです。

セルフ給油機  教わった通り、10ユーロ札を入れ、10リッターのボタンを押し、給油ノズルを車に差込み、引き金を引きます。・・・・が、あれー??出ません。2度、3度、同じことを繰り返しますが駄目。周りを見るとあのおばさんたちの車が出発するところ、あわてて手を振ってHelpです。戻ってきたおばさんたちも再度説明を読み、ボタンを押し、ノズルを引き・・・

 さらに通りかかった、地元のおじさんも巻き込み、試行錯誤しますが駄目です。店の人も居ないし、10ユーロ(約1400円)かー! 日本でならもっとジタバタするのですが、なんたって旅行者。これだけの人たちの手前もあって、あまり見苦しいこともできず 10ユーロをあきらめることにしました。

 と言いながらも、ノズルを機械に戻し、あきらめきれず、駄目もとと、札の挿入口を、ドンドンとたたき、再度ノズルを外すと・・・なんと機械のメーターが動き出しました。車に差込み、ノズルを引いて・・・

 こんな嬉しいことは久しぶりです。妻はおばさんたちと手を取って喜び、地元のおじさんも何やらしゃべりながら笑い、20-30分間かけて目的の給油を無事完了しました。今後、店の人が居ない自動給油は、使い方が解っていてもやめる事にしましょう。そういえば、クレジットカードが吸い込まれて出てこない、なんていう話も聞いたことがあります。
−−−−

 ひと騒動あったスタンドを出て数100mで、この町の広場に到着です。あそこに見えるカフェでお茶に、そしてこの先の道を検討することにしましょう。

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【e3.jpg:Pontebbaの町の広場(南方面)。あのカフェの向こうの路地がNassfeld峠、Casion-di-Lonza峠、Sella-di-Cereschiatis峠への道】

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【d3.jpg:Pontebbaの町の広場(北方面)。Fella川の橋のたもと。正面の山はオーストリア国境。Nassfeld峠は三角の山の向こう。右に川に沿って高速道路がオーストリアに】

●1797.3.23頃:ナポレオン軍が、このポンテッバを経て、オーストリアに攻め入る。
  『ナポレオン戦線従軍記』フランソワ・ヴィル・ルション著、瀧川好庸訳、中公文庫
  ・・(p67:第27回戦闘)
 3/13ベルノ→3/14ポルペタの戦い→ウディネ/フリウリ(イタリア)→(オーストリア)ポンテッバ3/23→3/27タルヴィジオの会戦→フィラッハ占領→4/9クラーゲンフルトの戦い→4/11フリーザッハ→4/17ノイマルクの戦い→4/18レオーベン城前→グラーツ】


 この先、どんなルートで走ろうか、一筆書きの旅。優先する峠は、大分水嶺や高い標高・・・だったらこことここ。でも林道の悪路や山道は無理、低い峠も対象外に、・・・どこかで一泊して・・・
こんなことを考えながら、お茶にします。お店の人にも道を聞いて・・・

周辺map
<事前調査では1554mの場所は自動車峠は無い?ように見えます。 この部分は林道か?・・・・>
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