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ポストイナのご婦人方

Postojna ポストイナの町
 深夜コーラスが聞こえ、教会の祈りにもハーモニーが。その音をここで皆さんに聞かせられないのが残念です。

 街の広場のレストランには、何組ものご婦人方がおしゃべりを。ちょっとインテリ風のグループと、普通のおばさんグループ。仕事帰りのおしゃべりなのかもしれません。 でも男の人たちのグループをどこにも見ないのはなぜでしょう?。
 この付近の地形、興味深いのです。川が突然消え、どこに行ってしまうのでしょう?
[北村 峠一]      


ポストイナ周辺map
【ポストイナ周辺の地図。クリックで拡大】

大・分水嶺
【大・分水嶺がポストイナ周辺に南下している。どこが分水?クリックで拡大】
<2003.6.11(水)>
 まず左上のポストイナ周辺の地図を見てください。川を目立つように濃くしていますが、何か特徴的なことわかりますか?

 そうです、川が途切れていますね。トンネルのようなマークのところで、水の流れが地中に入ってしまうようです。石灰岩が造ったカルスト地形です、このトンネルの先に鍾乳洞があって、またどこかで地上に出てくるはずなのです。それにこの付近の沼のような場所は、大雨の後にはスロベニア最大の湖になると以前読んだことがあります。


 次に左下の図で、アルプスの大・分水嶺、スロベニア西部はどこを通っているのでしょう?このポストイナの水は、地中海側に流れ込んでいるのか、ドナウ川方面なのか?そんなことを調べていたので、よけいに興味が沸いてきて、この付近に2泊することにしたのです。

−−−−−−

 ポストイナの町に到着後すぐに観光協会に行き、若い女性に宿をいくつか紹介してもらいます。
ホテルは45〜51eur(6300〜7100\)(朝食付/2人)、プライベートルームは21〜30eur(2900〜4200\)(朝食無・付/1人)と、どちらもほとんど似た値段です。

 話はちょっと変わりますが、ポストイナに到着してから先は、英語が通じるようになってホットしました。前日のように全然通じず、お互いに「感:カン」や筆談で話している緊張?も、また楽しいのですが、スーパーの買い物などでもかなり通じる気楽さ。やはりこのスロベニアも、アドリア海に近いほうが、西側からの旅行客も多いのでしょう。

 まず目の前の広場にあるHotel-Krasホテル・クラースに行き、ソフトクリーム、コーラを取りながらちょっぴり観察します。なぜかここにはお客が来ない、ボーイも暇そうです。広場の周りの他のレストランやバーは、この暑さで冷たいものを飲む人で一杯なのですが、ここはきっと料理など美味しくなくて、地元の客は来ないのでしょうか。でもソフトクリームまで味が違うのでしょうか?

 ここは止めておこうと次に、紹介してもらったプライベート・ルームに行ってみると、残念ながら留守でした。

 他のホテルやプライベート・ルームもあったのですが、例の興味を持った村、不思議な川・トンネル・沼のようなものがあるはずの、隣のCerknicaツェルクニチャ(?)村に行ってみたいと思います。宿名・住所もインターネットで調べてあります。



<Cerknica村付近のWeb-Site>
Cerknisko jezero湖
【Cerknisko jezero湖は、大雨で氾濫し、スロベニア最大の湖になるときもあるが、ほとんど水の無いときも。その対比写真】

Cerknica村
【湖の北側のCerknica村のパノラマ・・・なだらかな村の風景】

Planinsko polje湖
【Planinsko polje湖はCerknisko jezero湖、ポストイナ鍾乳洞からの流れが集まる(この情報は次の日に、鍾乳洞のガイドから聞いて解ったこと)。またCerknisko jezero湖と同様、大雨の後氾濫して湖となる。】
 しかし、せっかく30分、15kmほども田舎道を走って行ったのに、村役場らしい建物の一室のインフォメーションには鍵がかかり、観光パンフレットすら置いていないのです。しかたなく付近を見回し、歩いていた40歳台の女性に住所を見せて聞きます。が、運が悪いことは続くもので、その調べておいたGuesthouseガストフはさらに15kmほども先だそうです。

 また、大雨の後スロベニア最大の湖になるという沼地には、道もなく入って行けません。水の流れる先のことは、明日鍾乳洞のガイドさんにでも聞きましょう。でもこの村、もっと観光に力を入れるべきですね。ポストイナの客の数%でも立ち寄らせる努力をすればいいのに。結局あの流行らないホテル・クラースに泊まることを決め、高速道路を使って戻ります。

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 さっきアイスクリームを運んできた若い男(ボーイA)が、ホテルの受付もしていました。2泊頼んでもいいのですが、明日はもっといい場所があるかもしれないので。まず1泊を。

 部屋は3階でベランダから広場の見える角。まあいいところですが、カーテンは日に焼け変色し、木の窓枠のペンキもあちこちはがれています。さらに夜になって気がついたのですが、電球が2ヶ所切れていました。

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【106.jpg:Okrepcevalnica-Jadranレストランのテラスから、町の中心の広場を見る。左:インフォメーション。正面:Hotel-Kras(3階の右端の部屋に泊まった)。右方向500mほどに鍾乳洞がある。】

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【101.jpg:Zlatorog Pivo500ccビール1本350sit≒210\】
【123.jpg:初日の夕食。Klobasaソーセージ1000sit≒600\、Lignjiイカ焼き1300sit≒780\。イカ料理はおいしい。】

<ビール:Zlatorog Pivoのこと>

http://www.pivo-lasko.si/【ZLATOROGはスロベニアのおとぎ話に出てくる山の動物だそうですが、外観はIbexアイベックスなどのヤギの仲間に似ています】
 街の中を散歩し、みやげや果物などちょっとした買い物をした後、食事にします。やっぱり泊まっているホテル・クラースのレストランには人が居ず、僕たちも向かいのレストランに入ります。暑いのでまずビールです。そして今回の旅ではじめての「イカ」です。柔らかでシンプルな味付けは日本の料理にも負けません。ソーセージのほうはけっこうなボリューム。


 夕暮れ時、広場には自宅で夕食を食べた後の家族連れや、学校仲間の小学生たちなどが、涼しくなった町をアイスクリームをほおばりながら歩いています。

−−−−−−−

 宿に帰り、ベットでメモを書きながらウトウトしていると、外からコーラスが聞こえてきます。そのハーモニーがなかなかいいのです。この深夜、何かお祭りでもあるのかとベランダに出てみます。真っ暗な広場、聞こえてくるのは斜め下のバーから。目を凝らすと何人かの女の人たちが、イスでおしゃべりをしながら、時々歌声です。それがこの寝静まった広場に響くのです。
「・・・カントリー、ホ・ホ・ホ・・・ 、カントリー、ホ・ホ・ホ・・・」というような、聞いたことのあるメロディーです。音だけでも撮ろうと、暗闇の中ビデオを回します。
(「メロディーから曲名を調べる方法」をご存知の方がいたら教えてください)

 今回のスロベニアの旅の間に、このようなコーラスを2−3回、何気ないところで聞きました。中年の女性数人が、ハイキングの休憩などの時に、一人の方の歌声に周りの人がハーモニするんです。突然和音が出るはずは無いので、きっと普段から練習しているのでしょう。そしてこの日常の習慣は、この国の文化になっているのかもしれません。

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【144.jpg:コーラスで目が覚めて、こんな深夜と思ったらまだ11時前だった。Sv.Stefan教会が、浮かび上がっている】

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【140.jpg:夜Hotelのベランダから広場を見る。左のバーから合唱のハーモニーが流れてくる。】

−−−−
<翌朝><2003.6.12(木)>

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【269.jpg:Hotel-Krasのベランダから見る朝日の広場】

 出発前「今晩も寝るだけなので、このホテルでいいじゃないか、連泊しよう」と決め受付に。今朝の若者(ボーイB)は、昨夕のボーイAよりちょっと大人っぽいので、頼もしいかもしれないと期待しながら、
「部屋の電球が切れているよ」と注意しておきます。帰ってくるまでには直っているでしょう。
 そして今日は、鍾乳洞とアドリア海に行って来ます。


−−−−
<その夕方>

 帰ってきて、カウンタに鍵を取りに行くと、昨日の夕方のボーイAが窓口に。
「お客さん、まさかこんなホテルに連泊したの?」と驚いている風でした。

 昨夜、ライトにうっすらと浮き上がっていたSv.Stefan聖ステファン教会に行ってみます。なかなか立派な建物。1777年建造というと、ハプスブルクのマリアテレジア女帝(1717-1780)の時代です、彼女もこの地に来たことはあったのでしょうか。教会のドアの中から、昨夜のコーラスがまた聞こえたような気がします。そっと中に入ってみると、三人の信者が祈りを唱えています。一人の祈りの声、続いて二人目の声、時に三人の祈りがハーモニ・輪唱・合唱のように聞こえたのです。キャンドルと小窓からの暗がりの中に、いつまでもそのハーモニー「祈りの語りかけ」が続いています。

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【225.jpg:Sv.Stefan聖ステファン教会】
【237.jpg:1777年と入口上部に書かれている】




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【205.jpg:Sv.Stefan教会内部】
【206.jpg:「祈り」がまるで合唱のように聞こえる】
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【216.jpg:正面の聖壇の明かりだけが】

<スロベニアの最近の戦いの歴史>

・1918年、第一次大戦でオーストリア・ハンガリ帝国崩壊に伴い、スラブ国家を目指すがイタリアに侵入される。
・1929年、最初のユーゴスラヴィア誕生。
・1941年、ナチ・ドイツ、ムッソリーニ・イタリアが侵略・占領。
・1945年、第二次大戦後、チトーが率いるユーゴ連邦で建国。
・1948年、チトーのユーゴは、スターリンのソ連と対立。独自路線化。
・1991年、ユーゴスラヴィアからの独立時の戦い。
 教会の西のちょっとした高台から、眼下の広場に向かって、銃をかまえた男の像が立っています。 今は木立ちの間の目立たないところに立っていますが、かつては国の独立に向かっての市民全員の心の支えだったのかもしれません。

 このアドリア海に近いスロベニアの場所は、古代ローマ(ユリウス・カエサル:BC55年頃以降)の時代、神聖ロー帝国(10C以降)の時代、ハプスブルク家(1438年以降)の時代とも、比較的安定した地域なのです。ところが最近の100年は、実に戦いの連続だったのです。

 そしてこの像の台座が西南西の方にずらして設置してあるのは、イタリア・トリエステを向いている?のかもしれません。

 
【242.jpg:銃を広場に向けている像】【240.jpg:「PADLUM-BORCEM-ZA」の意味? 台座が像の台とずらしてある意味は?】

 今日も昨夕と同じレストランに行きます。夕方7時を過ぎた頃から、女性の方が次々とレストランの席に集まってきました。観察すると、正面のキャリアウーマンといった感じの、ちょっと品のいい、インテリ風の女性たち5人は、ワイン・ビール・ジュース・ちょっとした食べ物、でもほとんどの人がタバコ!(これはいただけませんね)。

 左の7-8人は、スーパー勤めのおばさん風、またはカルチャの帰りの雰囲気です。家に食事があるのか、レモンサワーなどの飲み物だけ。あのコーラスもこんなおばさんたちなのでしょうか。そして右端のほうの2組のカップルと1人の男性は旅行客のようです。

 そういえば、仕事帰りの「おじさんたち」って見ません。男たちがレストランやバーのテラスで、グループ組んで飲んでいるシーンはほとんど見かけません。おばさんたちの権力が強いのか、男たちは国の独立後人生の楽しみを忘れてしまったのか?

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【257.jpg:女性グループ2種・・左:普通のおばさん風? 右:インテリ風・仕事帰り?】

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【263.jpg:こちらのグループは旅行客か?】

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【246.jpg:今晩も同じ
Okrepcevalnica-Jadranレストラン
のテラスから。
魚を食べようと思ったがメニュー
にない。
Skampiエビは2200Sit≒1300\】
 このレストランの主人、昨日は人の良さそうなおじさんでした。そして味の方も美味しかったのです。で、今日の主人もやはり50-60歳台ですが、ちょっと狡猾?そう。 今日は奮発してエビ(2200Sit≒1300\もする)を注文してみますが、出てきたエビは身が少なく殻だらけ。味も塩コショウが効き過ぎています。ヨーロッパでは肉より、海の魚のほうがかなり高いのです。このアドリア海でも、魚はあまり取れないからなのか、食べる人があまりないからなのか。どちらにしろ、肉にしておいたほうがよかったなーという感想です。

 レストランの清算時、この国のわかりずらい紙幣 数枚が、僕たち二人の財布と、このおじさんの手の間で手品のように移動します。ビールで少しボーとした頭の隅で、一瞬
「なにか変?こんな時はきっと、いくらかは ちょろまかされるんだよね」という気持ちがよぎりました。が、妻が支払っているんで大丈夫だろうと、深く考えずホテルに帰ります。

スロベニアの通貨
【488.jpg:スロベニアの通貨】
 翌朝、いつものように手持ちのキャッシュ残額や前日の使った額をメモするとき、妻も同じような感じを持っていたことが解りました。

 レストランの支払い金額は3,900Sitトラール(≒2300\)。妻が1,000トラール札3枚をおじさんに渡し、不足しているので僕が5,000トラール札を妻に渡し、おじさんに支払い、おつりは妻が貰った?ような気がしていました。が今、妻の小銭入れには小額200トラールほどしか残っていない。これはきっとヤラレタ!あのベランダから見えるレストラン、まだ開いていないけれど、どなり込もうか??

 でも一応、二人分の財布を全部出して、総計を出してみます。そして昨日朝の残額から、テーブルに並べた一日すべての領収書やソフトクリームなどの額を引いてみると。・・・なんと、1トラールも狂いがないのです。

 おじさん、疑って申し訳ありませんでした。これ以前も、以降スロベニアを出国するまでも、実にさわやかに計算が合ったのです。今でも安心してお金をやり取りできる国だ、という感じを持っています。ただしあの札の種類は、わかりにくい。


 長い長い文章だらけのページを、このホテル・クラースの感想などで締めくくります。

<ポストイナの宿情報>(インフォメーションで紹介してくれたところ)

HOTEL JAMA【鍾乳洞のすぐ近くにある**星。JAMSKA CESTA 28。朝食付:51eur〜/2人。】

hotel-krasHOTEL KRAS【町の中央広場に面している。TRZASKA CESTA 1。朝食付:46eur〜/2人。】

・プライベート・ルームが何軒かある。(朝食無/付:20〜30eur/人)

・Motel/Apartmentなどもある
 この宿の2泊分の価格、2人・朝食込みで20,000sit(≒12,000\)でした。立地は最高にいいし、世界的な鍾乳洞を観光地としているのに、こんなにも流行らない、商売気がない、料理(朝食)がまずいホテルも珍しいのです。きっとヨーロッパ中捜してもないでしょう。

 あのクレーム言った「切れていた部屋の電球」、その日の夜帰ってきたときにも修理してありませんでした。何度も同じような状況を見ていると、こちらも「クレーム言うのは、もういいや」という気になったのです。

 東欧の、共産時代からの経営体制がまだ続いているのでしょうか、20年以上前の日本の郵便局、国鉄、はたまた市役所、そんな感じの経営です。
「まずくても、多少汚れていても、安いのだから我慢しな。来たいお客だけが来ればいい」と主張しているような。たしかにボーイA、Bの若者二人と、朝食時に見たおばさんの実質3人(それ以外にパート数人)で、100部屋以上のホテルを切り盛りしているので大変そうですが。

 来年EUに加盟し、他の国からの客も増え資本が入り、さらに競争していくうちに、このホテルの経営も雰囲気も急速に変わっていくことでしょう。

 3日目の朝、宿代の支払い時は、またあのボーイB。クレームを言っておいた若者だったせいか、税金分の616Sitをおまけしてくれました。こんな減額が自分の裁量でできるぐらいなら、修理の手配などにもっと力を入れれば、お客も増えるのに!


<ポストイナの鍾乳洞、プレッド城、ピランの観光に行ってきます。・・・・>
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