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Elephants

●ハンニバルと象が「アニュエル峠」の下り(推定)を進軍した状況など



<ここまでの経緯>

 約5カ月前、スペインを出たカルタゴ軍は、ようやくアルプスの最後の峠に到達する。
 しかし地元部族の奇襲などで疲労し、さらに食糧は底をつき、また、雪・寒さで軍の士気も衰えていた。
 前日、ハンニバルは全部隊の指揮者を集め、眼下のイタリアの谷を見せ、翌朝の進軍を指示した。
 雪山での行軍を経験していない彼ら・・・山に本格的な雪が降り出した。
 軍の規模は、歩兵2万9千、騎兵6千9百、象20頭。

<紀元前218年10月22日:アルプスの登り道から12日目。イタリアの平野まで残り3日>

○前夜からの雪はさらに激しくなった。風も吹き吹雪となった。
○朝、寒さ・飢えなどで動けない兵士が多発する・・・彼らを置いて先に行く・・・凍死へ。
○歩きだした兵士達は、寒さに耐えるためすべての衣類を身につけ、足元を革、布でくるむ。・・・しかし雪・氷は、その衣類を冷たい水で冷やし、その足を麻痺させる。
○隊は、吹雪の中を下りだした。・・・ゆっくりした行軍・・・吹雪でさらに冷える・体温下がる。
○前方の偵察隊は道を見つけ、各所で氷・雪の層に足場を作る。
○狭い危険な道が続く。足を踏み外し、滑り落ち、岩に打ち付けられるものがでる・・・怪我→凍死へ。
○大量の荷を積んだ動物は、不安定な場所で、雪・氷に足を踏み抜く。動けなくなる・・・凍死へ。
○地すべりで大きく山肌がえぐられ、大きな垂直の崖に行き当たる。
○工兵たちは、少し上方に道を作る。・・・待つ兵士の体温はますます下がる。
○しかしそこを通過するうちに、氷・雪とともに地すべりが起きた。通過中の多数の兵・荷役動物が滑落。・・・怪我・凍死へ。
○夜間になり、移動が危険になり野営することになる。
○兵の中に絶望感が出始める・・・・勝手な移動・・・凍死へ。
○斜面・尾根で野営・・・かなりの軍は、フランス側の比較的平坦な地に戻る。
○寒さ対策のため、フランス側の森林のある下まで木を集めに行き、運びあげ、薪火で暖をとる。
○さらに雪は降り続き、吹雪も続く。・・・体温下がる・・凍死へ。

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<紀元前218年10月23日:アルプスの登り道から13日目。イタリアの平野まで残り2日>

○朝、寒さ・飢えなどで動けない者が多発・・・凍死へ。
○吹雪はまだ続く。
○まだ暗い時間から、工兵は新たな道の建設を始める。
○少しずつ軍は動き、下る。・・・ゆっくりした行軍・・・吹雪でさらに冷える。
○途中に大きな岩がありそれ以上進めなくなった。巨大で動かず、ハンマー・つるはし・斧などによる程度では壊れなかった。
○絶望がさらに全軍に広がる・・・独自の行動・パニック・・・凍死へ

  ・・・大吹雪が続く・・・ハンニバル軍に大きな絶望感が広がる・・・

●高度と温度
 山では100mの高度を増すごとに気温は0.6度Cずつ下がり、これに風が吹くと風速1mごとに体感温度が1度下がる。
 海抜0mの地中海から2700mの山(アルプスの峠)で、16度の気温差。風が5mあるとさらに5度・・・計21度の気温差
・・・もし10月末、海抜0mの地上が0〜10度なら、海抜2700mで5mの風が吹いていると、-21度〜-11度の体感温度になる。
●高山病
 標高2000m以上の山から起こる。頭が痛くなったり、吐き気が症状。治療には、そのまま横になるのではなく、一旦標高の低い所に下りて安静に。高い山に登るには、中腹で一泊し、高度に慣れてから山頂を目指した方が良い。
●凍傷
 凍傷は体の組織が凍結しておこる傷害で、気温が氷点下以下で起こる。
●凍死
 凍死は体温が低下(だいたい32度以下)して、体が正常に機能しなくなって死ぬことをいう。気温10度でも、雨風で体熱がどんどん奪われる状況下だと死に至る場合もある。
参考URL:「山の基礎知識」

●巨大な大岩をどうやって破壊し、道を作ったか・・・
・峠のフランス側にかなりの兵を戻し、森林限界の付近から大量の森の木を切った。動物と兵士は次々とその薪を峠を越えて運んだ。さらに荷物の中から酸っぱいワインを大量に集めた。
・大岩の横・上で薪を焚き、岩を十分に熱し、酸っぱいワインをそそぐ。岩の表面に亀裂を作り、つるはし・斧などで砕いた。
・「火で熱した岩盤に酢酸を注ぐと、岩盤はボロボロになり容易に粉砕できるようになる」ことは、スペインの鉱石採掘技術にすでにあったといわれている。

○待つ間、運搬する間にも、小規模の雪崩などが発生・・・巻き添えで・・・滑落・凍死
○大岩を砕くことができ、狭い道を作り、偵察隊はさらに下る。工兵も順次下る。
○一部の歩兵、騎兵、荷役の動物は雪の積もっていない場所まで下り、野営地を築いた。
○降りた動物たちは潅木や森林の草・木を食べた。
○また夜になる。通過できなかった兵・動物は凍える・・・凍死

<紀元前218年10月24日:アルプスの登り道から14日目。イタリアの平野まで残り1日>

○朝、通過できなかった兵、動物の中に、凍死、寒さ・飢えなどで動けないもの多発・・・凍死
○狭い幅の道を、歩兵隊、騎兵隊、輜重隊は下の平野に向かって下っていく
○工兵は、象、荷を移動するための幅広の道をさらに作る。
○軍の先頭は、ポー川の平野部に到着し、キャンプを設営する。

<紀元前218年10月25日:アルプスの登り道から15日目。イタリアの平野に到着>

○工兵は、象・荷のために道を整備・建造。
○歩兵は全員キャンプまで下る。
○夜:ほとんどがポー川の平野部に到着し、キャンプする。>
<10/26頃:イタリアの平野部>
○象もすべて、ポー川の平野部に到着。
○兵、動物、荷の点検把握をする。1万2千のアフリカ兵、8千のスペイン兵、6千の騎兵、象17頭を確認する。
 この峠の下りで、9千の歩兵、9百の騎兵、3頭の象を失った。
 出発から5カ月で、1万8千の歩兵(3.8万→2万)、2千の騎兵(8千→6千)、20or22頭の象(37or39→17頭)を失った。

●その後のハンニバルと軍(年表)

BC.218(29歳):疲労から回復するため、村の食糧などを手に入れ、以降3日間休養する。
  :ガリアの都(トリノ)へ使節を送り、同盟を迫るが拒否される。
  :2週間後、その都を攻め、3日間の戦いで城を壊滅させる。
  :周辺部族と同盟し、ガリア人の傭兵を雇い入れ兵を補給する。
  :ポー川とティチーノ川の間でローマ軍(老スキピオ)と戦い、勝利。
  :12月、トレッビア川の戦でもローマ軍をやぶる。
  :その冬、気候が厳しく、ハンニバルの象は1頭を残してすべて死んだ。
BC.217(30歳):トランジメーノ湖でローマ軍に勝利
  :アペニン山脈の峠をこえ、ローマ領内に侵入(牛の角にたいまつを結びつけ夜襲)
  :アプリアのカンナエ村の戦い
BC.216(31歳): カンネで大勝(ローマ軍は史上最大の敗北:ローマ軍死者5万人以上:カルタゴ軍死者も6.7千人)
  :本国カルタゴから物資の援助なく、カプアに駐留。
BC.212(35歳): タレントゥム攻略
  :ローマに進軍。ローマ市民は恐怖で眠れぬ夜が続いた。ローマ側の持久戦で引き返す。
BC.207(40歳):カプアを失う。弟ハスドルバルがアルプス越え(ハンニバルとは違ったルートと言われている)をして援軍に現れるが、メタウルスでローマ軍に破れ、義弟は死ぬ。
  :ハンニバルはそれでも戦い続ける。
BC.204(43歳):スキピオの率いるローマ軍、カルタゴ襲来
BC.203(44歳):カルタゴ本国はハンニバルを本土に帰還するように命令。
BC.202-(45歳):ザマの戦いでスキピオに敗北
BC201(46歳):カルタゴとローマは和議を結び、第二次ポエニ戦争は終わる。
BC195(52歳):ハンニバルは行政長官になり国内整備に取りかかるが、ローマ攻撃の密告でシリアのアンティオコス三世のもとへ逃れる。
BC190(57歳):ハンニバルは、マグネシアの海戦でシリア艦隊を指揮しローマと戦う敗戦。クレタ島に逃れる。
BC183(64歳):小アジア北部のビテュニア(ビシニア/ビチニア・・・マルモラ海、ボスポラス海峡、黒海に接する小アジアの古代の地域)のプルシアス王の元に逃れたが、ローマの手がまわり、ハンニバルは自分の指輪に隠した毒で自殺。

BC.149-146 第三次ポエニ戦争:またも奇跡的に復興したカルタゴを驚異と感じたローマにより殲滅戦争を仕掛けられ、3年で陥落。徹底的に破壊・焼却される。

参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本は以下のものである。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫:白水社(J-page)
参考URL:
 ・げき℃の世界史/ げき℃ →スペイン→こんな国→歴史知識
 ・古代ギリシャの通貨(ビシニア)
 ・地中海紀行
ヨーロッパアルプスのハイキング地図
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