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Sentier Paysager Du Mt.Viso Gd.Belvedere
 モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)大見晴台へ
 ・・・モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)の勇姿をはじめて見ます。
     あの象が今、古木になって出迎えてくれました・・・

ハンニバルの進軍状況  木立と緑の草原の斜面を約20分。雲ひとつない青空にモン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)山の雪と岩の北斜面を遠望します。
 さらに大見晴台まで約2時間。ギルの渓流を右・左に、モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)を正面に見ながら登っていきます。日が高くなるにつれ、山に雲が、空の青さが霞んできました。


 6月の後半、平日のせいか駐車場には数台の車があるだけです。やはりここはフランスでも山奥の秘境、あまりたくさんの登山者は来ないのでしょう。駐車場から山に向かって道が二手に分かれます。案内板によるとひとつが林道(白色:サービス・ロード)、昨日見た馬車や、山小屋工事などのためでしょう。そしてもう一つが登山道、Petit Belvedere du Visoヴィーゾ小見晴台へ10分(黄色)、Sentier Paysager Du Mt.Viso Gd.Belvedere モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)大見晴台への景色良い道 1時間30分(緑色)とあります。

 まだ時間は早くいい天気なので、小見晴台を経由して大見晴台へ行ってみましょう。案内板に「ヴィーゾ小屋は工事中で閉鎖」の注意書きがあります。まだトレッキングの時期にも早いのでしょうか?こんなに花はきれいだし、空気もさわやか、太陽の光も透きとおっています。日本の山だったら人が一杯の時期。そして僕たちも日本と同じつもりで小屋泊まりを予定していたら、たいへんだったでしょう。


【102.jpg:北の方向:案内板と駐車場】

 
【128.jpg:右=小見晴台・大見晴台への山道。左=林道】 【177.jpg:右の岩肌の山(2700mクラス)の向こう側には、Agnelアニュエル峠へのGR58トレッキングルートがある。】

 小見晴台へのルートはちょっとした薮がある程度の道、6月の緑が目を癒してくれます。少し汗ばみますがアルムを歩く気持ちはなんともいえません。光るような白い岩肌の山を、針葉樹の木々の間に見ながら登ります。

 目の前にモン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)が、雲ひとつない青空と谷の間に初めて姿を見せてくれました。左(Viso-Punta Trieste:3841m)が頂上、右(Viso di Vallanta:3781m)はモン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)の煙突と呼ばれている、頂上を斜めに切ったような山。それらの北斜面の岩と雪の縞模様、感動です。 1861年にマシュウズとジェーコムがやっと初登頂に成功した、モンブランの南では飛びぬけて高い山です。ここに来る前、Varsヴァール峠で見えたBrec de Chambeyronシャンベロン(3390m)の斜面とよく似た形の山です。直線距離25kmほどなので、岩の構造や傾斜が同じようなのかもしれません。

 
【136.jpg:小見晴台からの遠景】 【138.jpg:モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)(3841m)の頂上は左側】




【ヴァール峠付近から見るBrec de Chambeyron(3390m)。
頂上の円錐を斜めに切ったような斜面、残雪。
一瞬、モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)山と勘違いしました)】

【187.jpg:小見晴台から、道はギル川の河原を越えて】


 しばらくその場で花や雄大な周りの山々のビデオなどを撮った後、大見晴台のルートに向かって草むらを歩き始めます。ところどころの岩に黄色の登山標識が描かれているのですが、草や花に隠れ見落としたようです。いつの間にかかなり高い岩の真下に、そして行き止まりになって引き返します。

 下のほうに久しぶりに人の声を聞き、あの付近が登山道なのだと分かったときには、数十mも林の中を登ってしまっていたようです。ガレ岩や大きく成長した草の間を下り、さらに荒れた沢と渓流にかけられた仮設の橋を渡り、やっと林道に合流できました。ほっとして、ここで水を一杯、休憩します。ヴィーゾの頂上に雲がかかり始めます。やはり山の眺めは、朝早くですね。


【197.jpg:上流方向。モンテヴィーゾに雲がかかってきた。】

 
【100/163.jpg:少し石のガレ場が見え始め】

 氷河で大きな逆半円や、V字形に削られた谷を川にそって歩きます。右手の山の上にはイタリア国境の氷河からと思われる大きな滝も見えています。そのなだらかな道は、ジグザグの登り道に変わり、少し息苦しくなって前を見ると・・・そこに「象」が迎えてくれました。スペインの地を出て4カ月半、ここモン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)のイタリア国境までの間に、何頭の仲間が犠牲になったのでしょう。そしてここで僕らを迎えてくれたのは・・・可愛い目をした小象のようです。


【322.jpg:登り道にかかる。ギル川の流れと、ジズザグに登る林道:工事車両用の道。】




【2e7.jpg:古木の象が迎えてくれる。右手の山からは滝の水が大量に・・・
さらにむこうのイタリア国境の山の氷河からだろう。】



【309.jpg:象のモニュメント:鼻と牙、やさしい目、愛嬌のある顔が・・・僕たちに挨拶をしています。】




















Gd.Belvedere du Visoヴィーゾ大見晴台(2133m) 
 ・・・モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)とトラヴェルセッテ峠・・・そしてハンニバルの決断


 モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)とその氷河で削られたカールが一望できます。でも、目的のトラヴェルセッテ峠を往復すると・・・遅くなりすぎます。

ハンニバルの進軍状況  ・・・  ハンニバルは決断します。そして全軍の司令官を召集させ  ・・・・



 モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)大見晴台に到着です。案内では約1時間半とのことでしたが、ちょっと道草をしたせいか2時間ほどかかってしまいました。さっき見えていた頂上にも雲がかかり、しばらくすると流れてまた見えます。・・・でもやはり朝早くのあの濃い青空でなく、薄く白んできています。この見晴台から見える山は、ほぼ3/4(270度)がイタリア国境です。モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)を頂点に大分水嶺(イタリア・ポー川の流れと、フランス・デュランス川の流れ)がV字型に張り出しているためです。

 
【143.jpg:ヴィーゾ大見晴台からのモンテヴィーゾ山(3841m)】 【189.jpg:周囲3/4はイタリアとの国境】


【118.jpg:大見晴台は小屋を建てるのか材木があって・・・先客も】


 見晴台の先客は、すっかり日焼けした年配の夫婦と小さな犬です。1/2.5万の地図を開きながらなにやら検討中です。・・・トラヴェルセッテ峠まで2時間半、ヴィーゾ小屋まで1時間15分・・・。山から軽装で降りてきたおじさんと一言二言・・・「結構きつい道で・・・ギブアップ」・・・

 そして・・・「ハイ、チーズ」(Say Cheese!)・・・「ハイ、フロマージュ」。チーズはフランス語でFromageフロマージュ。英語しか分からない僕たちにも解るような冗談を言って・・・記念写真のあと3人は下って行きます。


【151.jpg:記念撮影を撮って・・・】


【178.jpg:トラヴェルセッテ峠へ2時間半、ヴィーゾ小屋へ1時間15分】


【348.jpg:リストーラの宿のまわりの柵の中に・・・南米のラマが】


【tour-8.jpg:ラマと一緒にイタリア国境のハンニバルの足跡をたどる】

 さて僕たちもこれからどうしようかと考えます。そろそろ昼の時間、峠まで往復すると、宿の夕食には間に合いません。・・・でもまずは昼にします。昨日ギレストルの町で買っておいたパンとリンゴを出して、モン・ヴィーゾ(モンテ・ヴィーゾ)とトラヴェルセッテ峠の方向を見ながら昼にします。

 あの山の左側の稜線、ここまでの道もそれなりにきつかったのですが、これから先2914mの峠まで直線で約2km、高度差約800m。これはきつい登山道になりそうです。本当に象はこの峠を通過したのでしょうか?

 きっと夢の話ではないと信じます。さらにリストーラの宿に「ラマと一緒にハンニバル・トレッキング」の3日間のツアー案内を見つけました。夏のシーズンに荷をラマに載せ、国境の山々を一周している写真もありました。

 結局ここで引き上げることにしました。でもちょっとだけ気にかかって、峠だけでも見たいと少し先まで行ってみますが、残念ながら山の張り出しが邪魔して見えません。またいつか、この峠まで歩くチャンスがあることを期待して、ここを去ります。


【277.jpg:峠はこの張り出しの向こうに見えるはずなのですが】


【140.jpg:左の、もう少し左に峠があるはずなのですが・・・】

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Elephants

●「ハンニバルと象」がこの地(推定)を進軍した状況など



【04.jpg:トラベルセッテ峠への登道(J-p184)】

【02.jpg:全部隊の指揮官集合の平坦地(J-p184)】

 紀元前218年6月、スペインを出た歩兵3万8千、騎兵8千、象37頭のカルタゴの軍は、何度かの地元族の奇襲で1万人ほどの被害を受けるが、約4カ月半でこのギル川源流に10月18日頃到達。すでに冬も近づく高度2千mを越える地。気温が下がり、時には雪もよう。この先の峠道の工作、軍の再集結、休養のためこの付近に留まった。

 実は、前方に派遣した道路の工作隊からハンニバルに、「トラヴェルセッテ峠のイタリア側の斜面はあまりにも厳しい。傾斜、雪、岩などの条件があまりにも悪く、強靭な兵士のみでも大変である上に、象、武器・食糧などの荷車を含む全軍を通過させることは無理」との報告があった。

 一方ここ2日ほど、休養をとらせている後続の兵士側からも「体力を回復させるための食糧が、先の2回の奇襲で底をついたこと。雪が降り始め、特に朝夕は水も凍る寒さをしのぐための、テント・衣類なども失っている。死んだり役の立たない馬などを食べ、空腹をしのいでいるが、一刻も早くの対策を」との判断を仰いできていた。

 さらには「負傷者、弱者の衰弱ばかりか、軍の傭兵などの士気も衰え、このままではハンニバルに敵対し、離反しかねない状況もある」との報告すらも来ていた。

 10月21日早朝、ハンニバルは、軍の最前線の「トラヴェルセッテ」峠近くの平坦地に、全部隊の部隊長・指揮官を召集する。指示の時間に合わせて登ってくる隊長達の、革布で覆った足元は、前年の残雪や昨夜の雪の積もった岩場、冷たく滑りやすい。

 朝日がようやくフランス側の山肌を射しはじめる。真っ青な空。400人を越える全部隊の指揮官がこの平坦地に集まる。ハンニバルはその先の高い岩の上にいる。
西側から望むトラヴェルセッテ峠
【トラベルセッテ峠の直前西側(G-p91)】


【01.jpg:トラベルセッテ峠頂上からのイタリア
方面の眺め(J-p159)】


 ハンニバルは彼らを、その集結地から峠の頂上に連れて行く。稜線に立つと、澄んだ空気の中、眼下にポー川の源流、イタリアに下る渓谷、そしてイタリア・ピエモンテ平野全体を越えて、遠くミラノ方面から、ジェノヴァの丘陵地まで見渡せた。

 ハンニバルは彼らを奮起させ、この険しい崖を下山させるため、大声で演説をする。
・・・イタリアを指差し、「この先のすべては、我らカルタゴ軍のものだ。ローマを守っていたアルプスを我らはすでに制覇したのだ」 と。そして・・・「翌朝、全軍で下る」・・・と指示する。

 アルプスの登り道から11日目。峠を越え、イタリアの平原に到着するまで残り4日。

 軍の規模は、歩兵2万9千、騎兵6千9百、象20頭。



参考資料:
 この記載情報はポリビオス(BC200-118)の記述による。これをもとにルートを推定・解説している本も参考にした。
 ・Gavin de Beerギャヴィン・デ・ビーア 『ALPS and ELEPHANTSハンニバルの象』時任生子訳:博品社(G-page)
 ・John Prevasジョン・プレヴァス『ハンニバル アルプス越えの謎を解く』村上温夫:白水社(J-page)

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【濃い緑実線+点線:Guilギル川〜Belvedere du Visoヴィーゾ大見晴台〜
Traversetteトラヴェルセッテ峠を経て、ポー川源流のルート
 左下・黄色のルート:Agnelアニュエル峠の自動車道路】

<このトラヴェルセッテ峠のイタリア側の下りで、カルタゴ軍は約1万人の死者を出すのです。どんな状況でその大惨事は起きたのでしょう。

 そこで、ハンニバルが越えた可能性がある峠、西南西約6kmにあるAgnelアニュエル峠でその状況を推測していきましょう。

 ヨーロッパで一番高い場所にある村、St-Veranサン・ヴェランを経て、アニュエル峠に。

 そしてイタリアのPoポー川の平原に下っていきましょう。>



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