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遅くなりましたが  マッターヴァイス - 2003/03/23(Sun) 14:10 <URL> No.1080

月曜日お越しいただき、ありがとうございます。
それから動画重たくて、すみませんでした。

今回、モン・ブラン編を加えるとともに、コメントも
追加してみました。少しでも雰囲気がお伝えできれば
と思います。
ちょっと苦痛かもしれませんが、またご覧になってください。

http://home.catv.ne.jp/ss/alps/


3/16・・・今週のUP  kitamura - 2003/03/17(Mon) 11:16 <URL> No.1070

●マドレーヌ峠の場所を確認かたがた、ベッサンの村に行ってみました。残念ながら宿は改装中で休みで、飲み物にありつけず・・・
結婚披露宴のビールが恨めしく・・・急いで戻ってきました。

●Lanslevillardランスルヴィラード村(この読みに自信ありません)には、2泊。
目の前の山の景色の変化が気に入りました。ベースキャンプにするにはいい場所です。
イズラン峠に行く/帰りの車を、テラスでビール飲みながら見ているのもいいものでした。

●「シトロエンの2CV」形は前から知っていても、名前までは知らなかったのですが。同好者のサイトって一杯あるんですね。

●初々しい若奥さん。マダム・・・次回どんな風になっているか、楽しみです。

●ところで、このごろ文章が出てきません。プレッシャーになっています。まあ、少しづつ、自分のことばも回復してくるでしょうから、時間と努力でしょうが。

あの、・・Chalet-Hotel-Nanook:☆☆・・・のくだり、
皆さんからの文章を応募します。

●先週、どうもプロバイダ(big.or.jp)がおかしかったのではと
感じています。ある人から「サーバエラー」だったと教えていただき・・・多発していたようなら、プロバイダーに調査依頼したいと思っています。
もし皆さんの方でも感じておられましたら、ここに書いていただけますか?

Re: 3/16・・・今週のUP  kitamura - 2003/03/19(Wed) 13:55 <URL> No.1078

Bessans村の伝説だという愛嬌のある「悪魔とドラゴン」


モーリエンヌ渓谷  yuki - 2003/03/18(Tue) 04:01 No.1071

Bessans(ブサン)村やLanslevillard(ランスルヴィラール)村のあるモーリエンヌ渓谷、私も大好きで、何度も行ってみました。北側のヴァノワーズ国立公園、南はイタリアとの国境をなす山脈に足を踏み入れると、谷の風景からは想像できないほど、素晴らしい景色が広がっています。

中でも忘れられないのは、Bonneval-sur-Arcからイタリア国境へ向かってl'Ecot(2027m駐車場あり)というちっぽけな集落へ向かい、そこから国境の手前のRefuge du Carro(2759m)にて一泊し、翌日「バルコニーの道」と呼ばれる眺めのいいハイキングコースを歩いてBonneval-sur-Arcに戻ったハイク。

またブサンの村へホテルを探しに行くことがあれば、是非l'Ecotまで行き、ハイキングすることをオススメします。

ところで、どこかでモーリエンヌ渓谷はフランスアルプスで一番長い渓谷だと読んだ記憶があるのですが、いかがでしょう?


Re: モーリエンヌ渓谷  kitamura - 2003/03/18(Tue) 10:17 <URL> No.1072

>・・l'Ecot・・から国境の手前のRefuge du Carro(2759m)にて一泊し、翌日「バルコニーの道」と呼ばれる眺めのいいハイキングコースを歩いてBonneval-sur-Arcに戻ったハイク。

今、IGNのLes-Guides・・・VANOISE
(1998にBonneval-sur-Arcの御土産屋で、115Frで買った本)を見たら、
最後のページ(コース77)にyukiさんのコースが出ていました。Arc川の源流の氷河、l'Ecotの石造りの家々の写真もあります・・・
すごいところを・・・yukiさんご夫妻はフランスアルプスを、さらにヨーロッパアルプスの秘境を行き尽くす予定ですね?
楽しみですね。

私どもも機会があれば?機会を是非作って・・・あの付近に再度行きたいと思います。・・・

●飛行機飛ぶのかな・・・今年旅は行けるのだろうか?●心配!!
−−−

>・・・モーリエンヌ渓谷はフランスアルプスで一番長い渓谷・・

「渓谷」の定義はどう考えたらいいのでしょう?
「あまり大きな支流が流れ込まない」という定義だと、Isereや、Duranceも結構長いですね。
アルプス全域だと・・・ローヌ川のスイス域、イン川など・・・?

Re: モーリエンヌ渓谷  yuki - 2003/03/19(Wed) 09:26 No.1075

こんにちは。
前回のメッセージは、「今週のUP」の返信のつもりでした。。。スミマセン。

<<今、IGNのLes-Guides・・・VANOISE
(1998にBonneval-sur-Arcの御土産屋で、115Frで買った本)を見たら、
最後のページ(コース77)にyukiさんのコースが出ていました。Arc川の源流の氷河、l'Ecotの石造りの家々の写真もあります・・・>>

その本のタイトルを教えてもらえますか?興味があります!

<<すごいところを・・・yukiさんご夫妻はフランスアルプスを、さらにヨーロッパアルプスの秘境を行き尽くす予定ですね?
楽しみですね。>>

仕事も全て投げ出してアルプス歩きに専念しても、「行き尽くす」ことは不可能ですよー。本格的なアルピニズムを実践しても、行けないところはたくさん、、、。KITAMURAさんのように、「峠」というはっきりした目的はありませんが、景色の素晴らしいところなど、これからもアルプスを探索していきたいです。きれいな空気とごみ一つ落ちていない空間に身を置けることが、何よりの喜び。私にとっての贅沢な空間と時間です。文化や歴史もアルプスの魅力の一つですね。


いいなーうらやましいなー  kitamura - 2003/03/19(Wed) 13:50 <URL> No.1077

yuki さん、パリもそろそろ春の気配はありますか?

>IGN・・本のタイトルを教えてもらえますか?興味があります!

表紙:
Les-Guides IGN
VANOISE
a pied,a VTT,a skis,a raquettes...
Beaufortain-Tarentaise-Maurienne-Grand Paradis

出版記述:
MARS.1997
ISSN=1271.9331
ISBN=2.85595.044.9

裏表紙:
1=Mont-Blanc
2=Vanoise ・・・この本
3=Vercors-Diois-Buech
4=Ecrins-Queras
5=Corse
6=Ubaye-Verdon
7=Prealps-De-Savoie
8=Cevennes
9=Provence
10=Enviros-De-Paris
11=Cotes-D-Armor-Et-Finistere-Nord
12=Morbihan-et-Finistere-Sud

224ページ、77コースありました。

1,2,3,4,6,7,9でフランス・アルプスのエリアをカバーしていますね。
−−−

>・・景色の素晴らしいところなど、これからもアルプスを探索していきたいです。
>きれいな空気とごみ一つ落ちていない空間に身を置けることが、何よりの喜び。
>私にとっての贅沢な空間と時間です。文化や歴史もアルプスの魅力の一つですね。

いいなー・・・土日、天気のよさそうな週末ごとに、いつでも行けるなんて
・・・皆さんもそう思いませんか?


質問  akiko - 2003/03/13(Thu) 21:03 No.1065

今度、セストリエールへ滑りに行こうと思ってるんですが宿は日本で予約できるんですか?予約が取れる宿と金額を教えてください。

セストリエールの宿  kitamura - 2003/03/14(Fri) 09:41 <URL> No.1066

akikoさんこんにちは。

>セストリエールへ滑りに行こうと思ってるんですが宿は日本で予約できるんですか?予約が取れる宿と金額を教えてください。

通常はどうされているのですか?旅行代理店経由?
私の旅は現地で宿見て決めているので・・・
(旅の初日だけは、日本からインターネットで予約しますが)

「Sestriere hotel」を http://www.google.co.jp/ で検索すると一杯出てきます。
・・・が、あまり価格表示がされていないみたいですね。

で、私が泊まった「Hotel-Olimpicオリンピック:☆☆☆,B&Bは、当時=31Eur/人・日でした。(2002.6)
冬料金は高いはずなので、いくつか探したら・・・

http://www.inmontagna.net/Hotel/olimpic.sestriere.htm
に、1-3月で54eur、週351-420eur (2002年の価格)とありますね。

予約の申し込みは、フォームで問い合わせするか、e-mailでやるようですね。


今週のUP:2/23  kitamura - 2003/02/24(Mon) 10:50 <URL> No.1038

●モン・スニ峠(2083m)にようやく到着しました。
 ここにダムができたのは約40年前。
それまではたぶん、小モンスニ峠への分岐点付近で谷に下りていったものと思います。・・・ずいぶん当時(?紀元前?)と風景も変わっていることでしょう。
あの湖の中に降りていったハスドルバル。彼が象とこの峠を越えた可能性は高そうです。

●「分水嶺・峠・国境・ダムが入り組んだ場所と歴史 」
ヨーロッパアルプスの国境に限定してもたくさん。小さいところは無限に?あるはずですが、

順次調べてまとめていこうと思います。
皆さんからの情報もお願いします。

第二次大戦・・・これはromeosierraさんの分野でした。
記述に変なところがあったら教えてください。

オフェン峠とサンタマリア  kondo - 2003/02/25(Tue) 01:22 <URL> No.1040

kitamuraさん,こんばんは。

>> ●「分水嶺・峠・国境・ダムが入り組んだ場所と歴史 」

スイス東端のサンタマリアを通過してきたのですが,ここも谷の途中に国境がありました。
オフェン峠を経てエンガディンの谷へ出られるのですが,この峠が閉ざされるとスイス
本土(?)から切り離されて孤島になってしまいます。(実際はイタリア側に開いている
ので,物流がマヒすることはないですが)

ミシュランの道路地図にはオフェン峠に冬季閉鎖の表示(←11-5とか)が見あたらない
のですが,こうした場合「根性」で通年交通を確保しているんでしょうか...?
歴史と関係なくて申し訳ありません。

Re: オフェン峠とサンタマリア   kitamura - 2003/02/25(Tue) 15:00 <URL> No.1041

kondo さん、
>・・スイス・サンタマリア・・オフェン峠・・が閉ざされるとスイス本土(?)から・・孤島に
>・・オフェン峠に冬季閉鎖の表示が見あたらないのですが,こうした場合「根性」で通年交通を確保しているんでしょうか...?

もともと低エンガディン・・Zernezや、Scuolは冬季、フリュエラ峠の閉鎖で大変な思いをしていました。
1999.11にフェライナ列車トンネルができて、やっと冬も安定した輸送が可能になったんですね。

ミュスタイヤの谷は、さらにその先ですから、きっと過去にはスイスより、イタリアに依存した時期もあったのではないでしょうか。

今、この付近、イタリア・リビーノへのダムルートにトンネルもでき、冬季リビーノ付近へのスキー客はこのトンネルを使うようです。
また、オフェン峠もそれほど大きな勾配もなく、道幅も広いので、除雪作業は容易なのでしょう。

2001.10のゴッタルド・トンネル火災の冬、上を走るゴッタルドの峠道は(通常年は閉鎖なのに)除雪を続け、約400万スイスフラン≒3.5億円かけたとの情報があります。
除雪費用もばかにならないんですね。

シンプロン峠も...  kondo - 2003/02/25(Tue) 23:45 <URL> No.1042

kitamuraさん,返信ありがとうございました。

>> きっと過去にはスイスより、イタリアに依存した時期もあったのではないでしょうか。

そうですよね...車がない時代なんかそれこそ大変だったろうと思います。
ところで車のない時代というと,ハプスブルグ家の頃ですよね。私はそのあたりの歴史には
疎いのですが,オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊のドサクサ紛れにスイスに割譲された
...とか?

>> オフェン峠もそれほど大きな勾配もなく、道幅も広いので、除雪作業は容易なのでしょう。

実はもう一つ疑問が。シンプロン峠も通年クリアのようなのです。
ここは重要度も高いし,自転車で越えても「マシ」と感じるくらい状態の良い道です。
なのでわからなくもないのですが,毎年何億円もの除雪費用をかけるよりは下を通る
鉄道トンネルを整備してカーフェリー列車を通した方が安上がりではないかと。
(すでにサービスがあるかもしれませんが,それならなおさら)

鉄道トンネルが古くて狭すぎるとか,国際幹線で大型車の通れる迂回路が近くにないとか,
峠の向こう側にある集落の救済のためとか考えられますが...
実は国境警備などの国防上の理由が一番大きいのではと睨んでいます。
ホントのところ,どうなんでしょうか。

ミュスタイヤ/シンプロン峠  kitamura - 2003/02/26(Wed) 18:14 <URL> No.1043

ミュスタイヤの谷・・・
>ハプスブルグ家の頃・・オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊のドサクサ紛れにスイスに割譲された..とか?

そのヒント当たっているかもしれませんね。もともとスイスは
ハプスブルグからの独立・・・その後ナポレオンに侵略された前後で変化が?・・・
もうちょうっと・・・勉強します
−−−

>シンプロン峠・・・鉄道トンネルを整備してカーフェリー列車を通した方が安上がりではないかと。
(すでにサービスがあるかもしれませんが,それならなおさら)
・・・カーフェリーはすでにありますね。
>鉄道トンネルが古くて狭すぎるとか,国際幹線で大型車の通れる迂回路が近くにないとか...国境警備などの国防上の理由が一番大きいのでは・・・

通年の通行税を取る国・・・さらにカートレーン代払うか?という疑問はありますが・・・ちょちょっと???です
どなたか?

分水嶺と国境  yuki - 2003/02/26(Wed) 23:19 No.1044

リスト拝見。Kitamuraさんの研究熱心には感心します!

Vorarlberg州ではKleines WalsertalとLechtalはドナウ川に水が流れて、それ以外は、ご指摘のように、ライン川に水が流れています。kondoさんのおっしゃるように、スイスがハプスブルク家の領地から独立して、その際、何故か現在のVorarlberg州は残ったんですね。それで、後になって、Vorarlbergの住民がスイスに編入されたいと言った時、スイス側が反対したとか。私も詳しくは知らないのですが、興味があります。

リストに加えるものとして、チロルとエンガディンの国境に分水嶺と異なるものがあります。Ischglから南西に向かう谷とその東のSamnauntalも、分水嶺が国境であれば、オーストリアになるはず。

きっと他にもあると思うのですが、また情報が手に入れば、お伝えします。

Re:分水嶺と国境  kitamura - 2003/02/28(Fri) 09:44 <URL> No.1045

yukiさん情報ありがとうございます。

>Vorarlberg州・・ドナウ川に・・・それ以外は・・ライン川に
>・・スイスが・・独立し・・後に、Vorarlbergの住民がスイスに編入されたいと言った時、スイス側が反対した

スイスの領地が一度、このVorarlberg州にも及んでいた地図を見たことがあります。(ナポレオンの前?)・・・そのあたりを知りたいと思っています。
ドイツからしか入れないKl.Walsertalは、ドナウ流域なのになぜVorarlberg州なんだろうとか、Lechも・・・
http://www.eu-alps.com/k-site/do-992/927/927mittelberg1.htm
−−−

>チロルとエンガディンの国境に分水嶺と異なるものが・・
>Ischglから南西に向かう谷とその東のSamnauntal・・

地図見ました。なるほど・・・で、
実は、私の頭の中がうまく整理せず、表現も中途半端だったので、次回図示しますが・・・

●ポー川(アデイジェなど含む)、ローヌ川、ライン川、ドナウ川の海に注ぐ川があり、そのアルプスの分水嶺を・・・「大分水嶺」と<勝手に>呼びます。

その「大分水嶺」は、ほぼイタリア国境に一致するのですが、そうでないところにに・・・■何か歴史が潜んでいそうです。

スイスは国内にいくつもの「大分水嶺」を持ちます。そしてオーストリアはVorarlberg州とTirolの間に・・・。きっとここにも歴史が・・・


「中分水嶺」としては比較的大きな支流の川の分水嶺・・
「小分水嶺」・・・
そしてそこにそれぞれに歴史が

永久に・・・時間のかかる作業です・・・

シリアン−トブラッハ  kondo - 2003/02/28(Fri) 22:57 <URL> No.1046

kitamuraさん,こんばんは。

>> その「大分水嶺」は、ほぼイタリア国境に一致するのですが、そうでないところにに・・・■何か歴史が潜んでいそうです。

こまかい話ですが私も一つ見つけましたので報告いたします。
オーストリア南部の町リエンツから国境を越えてイタリア,ドロミテの北の入り口トブラッハ
を経てブレンナー街道につきあたるルート。
東側はDrau(ドラウ)川でドナウ川の水系,西側はRienza(リエンツァ)川で,アディジェ川
に合流してアドリア海に向かいます。分水嶺は地図によるとトブラッハの町の東約1kmくらい
ですが,国境線はさらに東に10kmほど行ったところにあります。

南チロルのイタリア併合,というおおきな流れからみればまあ「誤差の範囲」と言えなくも
ないですが...現地を通過してきた様子では,分水嶺そのものは峠といえるほどのもの
でもなく,自転車で通っても気づかないくらい(実際気づかなかった ^^;)でした。
むしろオーストリア側の,国境に近いシリアンの町の近くは谷の幅も狭く,山肌には古城や
砦が,道端には木組み屋根つきの古い橋が保存されていたりして,ここに関所を置いて
通行税を取るには好都合と見受けられました。

シリアンの町に関所機能があったかどうかは定かでないですし,それがそのまま現在の
国境線に置き換わったとするのは虫のいい見方だとは思います。でも,分水嶺よりも
その先の地形が険しい谷間に関所を置いたり,辺境防衛の前線基地を置いたということは
考えられなくもない。非武装地帯,という考え方もあったかもしれません。
実際は谷の両サイドの力学も作用したでしょうから,コトは単純には行かないとは思いますが...

Re: シリアン−トブラッハ  kondo - 2003/02/28(Fri) 23:13 <URL> No.1047

上の投稿ですが,ひょっとして

>> ●イタリア・オーストリア・スロヴェニア3国国境は、分水嶺から10kmほどオーストリア側に。

ここに該当していますでしょうか。だとしたら既出です。申し訳ありません。

Re: シリアン−トブラッハ   kitamura - 2003/03/02(Sun) 07:00 <URL> No.1050

kondoさん、返事が遅くなりました。

>・・オーストリア・リエンツから国境を越え・・トブラッハ・・国境線はさらに東に10kmほど・・
>...現地・・分水嶺そのものは峠といえるほどのもの
でもなく・・(実際気づかなかった ^^;)・・
>・・国境に近いシリアンの町の近くは谷の幅も狭く,山肌には古城や砦が,道端には木組み屋根つきの古い橋が保存されていたりして,ここに関所を置いて通行税を取るには好都合と見受けられました。
>・・分水嶺よりもその先の地形が険しい谷間に関所を置いたり,辺境防衛の前線基地を置いたということは
考えられなくもない。非武装地帯,という考え方もあったかもしれません。

記述に、この場所漏れていました。ありがとうございます。
分水嶺、地形、関所、非武装地帯・・・検討課題になりました。
で、C-Siteを久しぶりに見たら、リンク切れで画像が出ておらず・・・ついでに大分水嶺の記載も追加しました。

Sillian オーストリア〜イタリア国境の村
http://www.eu-alps.com/c-site/do-97/627/627sillian.htm

Misurina-1 ミズリーナ湖へ
http://www.eu-alps.com/c-site/do-97/627/627misurina1.htm

−−−
>>>イタリア・オーストリア・スロヴェニア3国国境は、分水嶺から10kmほどオーストリア側に。

ここは別の場所(本当の3国の接点)で、地図ではっきり確認できないのですが、イタリアがオーストリア側に張り出しているように見えます。

この場所と、スロヴェニア国境、トリエステの海岸・・・
第一次大戦前後、第二次大戦でも、イタリアがかなり固執して確保しようとしている場所です。
ここも・・・今年の旅計画の場所なので・・・楽しみです。・・・(ちょっと不安は、妻の歯痛??!!)

第二次大戦末期  romeosierra - 2003/03/09(Sun) 02:43 No.1057

kitamuraさん。皆様。
非常に長くなりますが、私にとってもしかするとアルプスドライブより興味ある事かもしれませんので。

●第二次世界大戦とフランス南東部・イタリア北西部=国境周辺の状況

<ドイツの占領下、フランス・イタリアともレジスタンス活動が展開され、国境周辺に残ったドイツ軍との間で
 大戦の終結直前まで激しい戦闘が続いた模様です。
  それが村役場の壁にある・・・1945.4.22-25の戦闘の記念プレートなのでしょう。>

 ・1939年9月 1日:ドイツがポーランドに侵入すると、イタリアも参戦を決定。
 ・1940年5月10日:ドイツがオランダ・ベルギー(西部戦線)〜フランスに侵攻。
   英仏の抵抗は弱く翌6月にはフランスは降伏・休戦協定。
   フランス北西部はドイツの占領下に、中部・南部は親独のヴィッシー政権(ペタン元帥)が統治。
 ・1940年6月18日:ド・ゴールの呼びかけでレジスタンス(抵抗運動)の展開。
   自由フランス軍が組織、連合軍側について戦闘参加。
 ・1942年:フランス全土はドイツ軍の占領下に。


〔 占領軍に対するレジスタンスというのは戦時国際法では軍隊として認められていないため、捕まると捕虜になるのではなく、犯罪者として処刑されます。従って占領軍の勢力が強い時にレジスタンス運動をやるのは文字通りの自殺行為です。実際にフランスで対独レジスタンス勢力が活動を始めたのは1944年6月の連合軍のノルマンディ上陸作戦がきっかけで、レジスタンス戦士の処刑もこの頃から急増し、リモージュの北のオラドールという村では一村が丸ごとレジスタンス容疑で焼き討ちされると言う悲劇も起きています。自由フランス軍がフランスの地を初めて踏んだのもノルマンディ上陸作戦で約1個中隊強の戦力(連合軍約18万人中の170人)でウィストラムと言う町に上陸しました。〕

 ・1943年7月:連合軍 がシチリアに上陸、9月イタリア本土進攻、ムッソリーニ失脚。イタリア政府(南イタリア)は連合側に。

《この頃太平洋の島嶼にアメリカ軍陸戦部隊投入始まる》

 ・1943年10月頃:イタリア北部はドイツ軍の管轄におかれ、戦闘が繰り返される。
   北イタリア各地で、パルチザンによるレジスタンス運動が展開される。
 ・1944年夏:イタリア北部のドイツ軍はポー川沿いに防衛線(ゴシック線)を築き戦闘。


〔 ゴシックラインというのはイタリア半島をじりじり後退するドイツ軍が最後に敷いた防衛線で、アペニン山脈の南側、トスカーナ北部からウンブリアにかけて敷かれ、ポー川とは関係ないと思います。〕



・ 1944年6月 6日:連合軍のノルマンディ上陸。8月プロヴァンス上陸。8月25日パリ開放。

《この頃、インパール作戦発動。10月、レイテ沖海戦、帝国海軍事実上壊滅》

〔 南仏に上陸した連合軍の一番右翼(アルプス側)はほぼナポレオン街道辺り、主力はローヌ川沿が進撃線で、アルプスに深入りすることなく、一気に北上、一ヶ月でディジョン付近、二ヶ月後の10月には北フランスでノルマンディに上陸してパリを経由してきたいわば主力軍と出会うところまで進出します。ここへ、『収容所から出撃してきた』日系アメリカ人の部隊、第442連隊が、先にナポリの南に上陸しモンテカシーノの激戦を経てきた兄貴分の日系アメリカ人部隊、第100大隊を加えて戦線投入されます。しかし、ここで進撃線を90度変えてロレーヌからボージュを突破アルザスに向かおうとしたとき、当時はドイツに占領されていたのはなくアルザス(エルザス)とともにロートリンゲンとしてドイツ領に併合されていたロレーヌでドイツ軍の激しい抵抗に合う事になります。第442連隊の名前を一躍有名にした『ブリエラ(ブリュイエール)の解放』『失われた大隊の救出』はこの時行われました。ここで大損害を出した442連隊はアルザスに進撃することなく後方に戻されます。〕


 ・1945年3月末〜:フランス山岳師団はプティ・サンベルナール峠、イズラン峠、モンスニ峠でドイツ軍を撃破。
 ・   4月10日〜:ラルシュ峠、ロンバルデ峠も含み激戦。(7日後に峠奪取)

《この頃、沖縄戦たけなわ。》

 ・   4月22-25日:このラルシュ村での激しい戦い


〔 このあたりの戦闘の経緯は(日本では)相当戦史に詳しい人でも知らないと思います。この頃はベルリンが断末魔にのたうっており、西からは米軍がエルベ目指して突進しています。戦史研究の興味はどうしてもそこに集中してしまいます。〕


 ・   4月25日:連合軍によってミラノ開放。イタリア全土で戦闘が終結(フランス国境はドイツ軍が残存)。


〔 この出典が何かわかりませんが、ミラノとトリノが完全に解放されたのは5月2日とする説もあります。〕


 ・   4月28日:アルプス派遣隊(連合軍)、国境の北・中・南の峠から総攻撃・進撃。アオスタ・トリノ・インペリア占領


〔 ミラノはアドリア海側からの攻撃で占領されますが、トリノはゴシックラインの南から陸路攻めあがった連合軍が占領しました。そしてゴシックラインの突破、トリノへの進撃には、またまた第442連隊も投入され奮戦しています。ハワイの隻腕の上院議員で有名だったダニエル井上氏はこの時に負傷しています。〕


・ 4月28日:ムッソリーニ逮捕・処刑


〔 ムッソリーニは愛人のクララとともに陥落前のミラノを脱出しスイスに向かっていたところをコモ湖畔でパルチザンに捕えられミラノに連れ戻されて処刑されます。〕


 ・   4月30日:ヒトラー自殺。
 ・   5月 2日:アルプス地区のドイツイタリア軍部隊、降伏


〔 この日のアメリカ軍中心の連合軍の進撃線の先端がミラノ・トリノであったとされており、これよりアルプスよりの戦闘はパルチザンと呼ばれる民兵か、フランス側からフランス軍によって行われたものと思われます。連合軍がブレンナー峠を越えたのは5月5日の事でした。〕


 ・   5月 8日ドイツ軍無条件降伏。

《この頃沖縄戦の趨勢もほぼ決まり、日本軍は本島の南に追い詰められつつありました。しかし、沖縄の戦いはまだ続きます。沖縄の戦いが全て終わったのは6月21日でした。》


Re: 第二次大戦末期  kitamura - 2003/03/09(Sun) 09:48 <URL> No.1058

romeosierraさん、解説ありがとうございます。

【Larche ラルシュ村-2  (Border-Fort Village/フランス:イタリア国境・要塞の村】
http://www.eu-alps.com/o-site/do-2002/617/617larche-villa2.htm

この村での忠魂碑から、いくつかの本の情報を列記しただけで、
自分自身全体像を理解せずに書いています。
で、こういう風に解説していただくと、「なるほど」と分かります。
近日に、サイトに転記させてください。

●このラルシュの峠、1515年にフランソワ1世が峠を越えた記録を見つけました。
(前期イタリア戦争末期に、21歳・体躯2mの騎士的王、フランソワ1世は、
スイス軍の裏をかいて通行不能といわれていたラルシュ峠を通ってアルプスを越え、ミラノにせまった。
1515.9.13-14のマリニャーノの戦いに勝ちミラノを取り戻した。
『世界歴史大系・フランス史2』柴田三千雄他編、山川出版社p78)


Dent Parracheeの標高に関しまして  Mundberg - 2003/03/03(Mon) 00:37 No.1054

kitamuraさん,今晩は。
 モン・スニ峠の下り坂から見る名峰 Dent Parracheeの標高は、IGNのTOP250では3684m、TOP100では3697m、TOP25では3697m、ミシュランのグリーンガイド「Alpes du Nord」では、3684mとなっています。ご確認ください。以上です。

●今週のUP--3/2  kitamura - 2003/03/03(Mon) 13:15 <URL> No.1055

Mundbergさん、早速のご指摘ありがとうございます。
Dent Parracheeの標高・・・IGNのTOP100の「3697m」に修正しました。VTRのよく読めない数字を書き間違えたようです。
−−−
●スニ渓谷に下るところの・・・ヴァノワーズの山々です。いいですねー。
Col de la Madeleineマドレーヌ峠の、ミシュランにしか記載されていなくて、かつ海抜記載ミス?・・・昨年8月に話題になった峠・・・その遠景を載せました。

●「大分水嶺」・・・先週の「峠・国境・ダムが入り組んだ場所と歴史=ヨーロッパアルプスの国境と分水嶺を比較して」は、
まず、どこが大分水嶺なんだ?というところが明確でないと、
議論できないので・・・あわてて整理しました。

峠のDBのメンテも、表示されるものだけしたのですが・・・
一度作ったものを見直してないことがよくわかりました。
そして、こういう原状化作業が一番大変=嫌になるなー=ということがつくづく解りました。

でもDBって、それが命ですよね。反省です。

モン・スニ峠からのG.Paradiso  Mundberg - 2003/03/04(Tue) 00:38 No.1056

kitamuraさん,今晩は。
 モン・スニ峠からのG.Paradiso(4061m)が見えるかという話ですが、299.jpgの画面で、Levanna Occidentale(3593m)から左に連なるイタリア国境の山々の一番左端の奥に写っています白い山(物?)が、方向的にG.Paradisoである可能性があると思われます。近くのTigneスキー場の高い所からは、西方からのG.Paradisoが良く見えます。G.Paradisoは北北西のAIG.du Midiや Helbronnerからみた姿が均整もとれてて形も良く有名ですが、西方から見ると丸みを帯びて見え、全然別の山のように見えます。また、Zermattの Klein Matterhornから見ると姿が変わり、G.Paradisoは東西南北、見る方向によって姿が非常に異なる山です。もっとも、見る方向によって姿が変わらない山なんてありませんし、これがまた山にはまる(いろんな方向から見たい)理由でもあるのですが・・。 以上です。


今週のUP:2/16  kitamura - 2003/02/17(Mon) 13:28 <URL> No.1022

●クラシックカー・ラリー
 ・・・おじさんたちの楽しみですね。みんないい顔していました

●『鉄火面』の牢獄
 ・・・三銃士とか、ダルタニアンとか・・・ほんとに若かったときの思い出ですね

●ロッチャメローネの山はアルプスのどの山より高い?
 ・・・あの人の目を惑わす遠近法の山・・・よくできていると思いますね。でも頂上から見て比較しても、そう思ったんでしょうか?

●モン・スニ峠から、フリユス・トンネルにトラフィックは変化
 ・・・最近の物流は、電車で運ぶより、車で運ぶほうが多いのでしょうか

●世界最古の登山鉄道はモン・スニ峠に走っていた?
 ・・・これはromeosieeraさんの以前のコメントを・・・ちょっとだけ加工して・・・+して「アメリカのワシントン山登山鉄道で、1869年」・・・

モンスニ峠の鉄道  yuki - 2003/02/19(Wed) 08:58 No.1023

興味があるテーマなので、手元にあるフランスの鉄道の本で調べてみました。Victor-Emamanuel鉄道は1860年にフランス(当時のイタリア)のCulozとSaint-Jean-de-Maurienneに建設されたそうです。その後、Saint-JeanとSaint-Michel間も建設されましたが、Saint-Michelからモンスニ峠を越えてSuzeまでは馬車でした。その区間に1868年に建設されたのがFell鉄道(4年間しか利用されず)で、「恐らく世界最古の登山鉄道と言える」と本に記されています。リギ鉄道は世界最古の「現存する」登山鉄道?またFrejusトンネルはフレジュスとフランス語で呼びます。



モンスニ峠の鉄道  kitamura - 2003/02/20(Thu) 11:22 <URL> No.1024

yukiさん、情報ありがとうございます。

>手元にあるフランスの鉄道の本で調べてみました。
本の名前教えてもらえませんか。整理したら、本文を修正し、資料名も書きたいので・・・お願いします。
−−−
>Victor-Emamanuel鉄道は1860年にフランス(当時のイタリア)のCulozとSaint-Jean-de-Maurienneに建設・・・Saint-JeanとSaint-Michel間も建設・・・Saint-Michelからモンスニ峠を越えてSuzeまでは馬車

「1860年にサルディーニャ王国は、サヴォワとニース地方をフランスに割譲した」とあるので、最初の区間は、王国から地元民へのみやげ?にしたのでしょうか?<誠意ある国王ですね>
−−−

>その区間に1868年に建設されたのがFell鉄道(4年間しか利用されず)・・「恐らく世界最古の登山鉄道と言える」と本に記・・・

romeosierraさんの見識・博識の深さですね。
下に出てくるURLのJ.Kasaiさん などにも(資料整理後)連絡したいと思います。
−−−

>リギ鉄道は世界最古の「現存する」登山鉄道?

リギは「1871年5月21日」で、ワシントン山登山鉄道は「1869年7月3日、現存」とのことです。
http://home.att.ne.jp/red/swiss-rail/Contents/World.html

http://kurc2.tripod.co.jp/aoi/2002/nf/genkou14.html には、「1868年の開業」とあるので・・・さらに日付けのチェックが必要ですね。

いずれにしろ、リギはヨーロッパ最古なのでしょう。
−−−

>Frejusトンネルはフレジュスとフランス語で呼びます。
イタリアの旅行協会ガイドでも「フレジュス」と書いてありました。
?「フリユス」の名前はどこから?・・・読み方が分からない場合が多くて、いろんな本でカナをふってある個所を見つけたとき、転記していました。なのでこのカナをどこから持ってきたか??
同時に修正します。ありがとうございます。

フランス鉄道他  yuki - 2003/02/20(Thu) 20:48 No.1025

調べた本は、Chaix(Paris)社から1956年に出版された「Geographie des Chemins de Fer Francais」です。古本なので手に入りにくいかも。でも、他に、Fell鉄道についての英語の本があると思います。(名前が分かったら知らせます。)
地名の表記については、日本で出版されているガイド類は要注意。先日手に入れた古いチロルの本や日経BPのシリーズにもかなりあきらかな間違いが見受けられました。とは言え、現地で確かめない限り、確信はもてないことも多々ありますし、日本語には無い音を日本語にある音で表記しなければならないという難しさもあります。
Frejusをフリユスと読んだ人は、ドイツ語読みしたのかも。

フレジュストンネル  kondo - 2003/02/21(Fri) 01:07 <URL> No.1026

こんばんは。

フレジュストンネルの工事の様子についてですが,以下の本の巻末に詳しく引用されていました。
圧搾空気を使った削岩機が導入されたものの,13年の歳月をかけ1870年12月26日に貫通したそうです。

新潮社刊とんぼの本 アルプス登山鉄道 ISBN4-10-601917-5
↑エドワード・ウィンパー著「アルプス登攀記」より抄録。ここではモン・スニイ・トンネルとされています。
(ワシントン山鉄道やリギ鉄道についても触れられています。)

>> ●モン・スニ峠から、フリユス・トンネルにトラフィックは変化
>> ・・・最近の物流は、電車で運ぶより、車で運ぶほうが多いのでしょうか

何年か前,フレジュストンネルでも事故があって,自動車トンネルが閉鎖された...というようなニュース
を耳にした憶えがあります。モンブラントンネルや東名の日本坂トンネルの事故も記憶に新しいですが,
長大自動車トンネルで事故があると物流に大きな影響がでますね。
2000年夏に私がゴタルド峠越えをしたときも,高速道路トンネルを避けて峠越えの街道を辿るクルマ
が多かったのですが,モンブラントンネルの迂回交通のほかにもトンネル自体を嫌気して...という
ドライバーが多かったとか。

以前読んだ鉄道関係の本に,フレジュス鉄道トンネルを通過する旅客列車は夜行も含めて1日3本(!)という
記述がありました。しなしながら,取り付き線も含めて改良して高速列車でパリとトリノ,ミラノを直結しよう
という構想があるようです。鉄道トンネルが再び脚光を浴びることになるのかもしれません。

ちなみに,モダーヌから開通したばかりの高速道路に迷い込んで本線を自転車で15kmも突っ走り,
おまわりさんのお世話になったマヌケなサイクリストは,なにをかくそうこの私です (^^;

フレジュス鉄道  yuki - 2003/02/21(Fri) 09:56 No.1027

Kondoさん、はじめまして。
フレジュス鉄道についてのこと、参考になります。
私も2年ほど前にモダーヌの駅に行った際、新しい鉄道トンネルの建設についての展示を見たことがあります。いつ完成するのか、覚えていませんが、、。現存する鉄道トンネルを通貨する旅客列車ですが、1日3本ということは、ありえないと思うのですが、、。イタリアーフランス間のTGV、夜行など毎日かなりの数にのぼしますし、私自身もバルドネッキアからモダーヌまで、ローカルの電車に乗ったこともあります。その記述のある本の名前、分かりますか?
それにしても、あの辺りをサイクリングなんて、素晴らしいですね!いつも、サイクリストの人達の体力には感心させられます。

Re: フレジュス鉄道  kondo - 2003/02/21(Fri) 22:17 <URL> No.1028

yukiさん,こんばんは。

>> その記述のある本の名前、分かりますか?

ようやく掘り出しました。92年頃に出版された本です。
講談社カルチャーブックス ヨーロッパアルプス鉄道の旅 ISBN4-06-198063-7

この中のモンブランのイタリア側,という項目のモンスニトンネルについての記述:
「現在ここを通過する旅客列車は一日に六本(うち寝台夜行が二本)にすぎない。」
を,往復で6本(片道で3本)と勝手に読んだ私の思い違いのようです。一日3本は
どう考えても少なすぎますよね...申し訳ありません。

気になって検索してみましたがパリ・リヨン方面とトリノ・ミラノ方面の間には昼行6本・夜行1本
の便があるようです。昼行便はFrance-Italy Day/ARTESIAというサービスで,予約が必要な
TGVに準じた高速列車のようです。となると,他にyukiさんもご利用になられた,地域交通
をつかさどるローカルサービスも走っているはずで,あわせるとそれなりの賑わいになるようですね。
そういえば道路端からモダーヌ駅構内を覗いたら,イタリア機関車がごろごろ
していましたっけ。ちょっと安心(?)しました...

ちなみにパリからミラノまで,昼行便で6時間50分,リヨンからミラノまでは5時間30分
だそうです。

フレジュストンネル の列車  Mundberg - 2003/02/22(Sat) 01:25 No.1029

yukiさん、Kondoさん 今晩は。
フレジュストンネルの1日の通過列車本数は、Thomas Cockの時刻表、 及びイタリア北部の時刻表(Nord Italia Nuovo Orario Grippaudo)によりますと、EC(国際列車)、EN(夜行)、ローカル列車を合計site、往復で25本位になります。貨物列車を含めるとおよそ30本位になると思われます。これは、アルプスのロングトンネルのなかで、Gottardoトンネルや Arlbergトンネルにはかないませんが 、Simplonトンネルと同程度の本数になると思われます。

Re: フレジュストンネルの列車  kondo - 2003/02/22(Sat) 21:18 <URL> No.1030

Mundbergさん,こんばんは。列車本数を調べていただき,ありがとうございました。

吹雪のリゼラン峠からほうほうの体で降りてきて,次はガリビエ峠。とんでもねー山奥だ
という印象が刷り込まれて,本の記述を額面どおり受け取ってしまったのですが...
30本もの列車が行き交い,シンプロントンネル並みのトラフィックがあったんですね!
認識を改めました。

ところで,検索ついでに各列車の定員がわかりました。フレジュス線(と呼んでおきます)の
特急列車,パリ発着便はTGVタイプで定員377名,リヨン発着便はイタリア新幹線タイプ
で定員480名だそうです。増結もあるでしょうが,昼行便全部あわせても3000名弱。
ここであえてナンセンスな比較をすると,新幹線のぞみ号の2本分強です。
...こんなもんなんですかねぇ。

でも逆に言えば,こういうところにも高速列車を入れられる柔軟さがヨーロッパの鉄道
システムの強みなのかもしれません。

イタリアのTGV  romeosierra - 2003/02/23(Sun) 00:56 No.1031

皆様こんばんは。

ヨーロッパ在住時代、仕事で、ムッソリーニが作らせたというミラノ中央駅からイタリア王室ゆかりのトリノ中央駅という汽車の移動を何度かした事があります。その内の何回かはTGVで、社内の売り子や車掌さんがフランス語を話す列車でした。思えばあの列車はモンスニの方へ行ったのでしょうか?。TGVとはいえ普通の列車とあんまり変わらない速度で走っていたような気がします。トリノ中央駅は上野駅の東北線や東京駅の新幹線同様のターミナル駅なのであそこから多分前後を逆にしてアルプスに向かったのでしょうか?。もっと丁寧にチェックしておけば良かったと思います。

一度風邪を引いていて、強力な風邪薬を飲んで乗った時、後ろの席のカップルがずうーーーーっと凄い大声のアラビア語会話をしていて半覚醒の夢の中が錯乱状態になったことがあります。

ミラノ-トリノ間はほとんど真平らで、車窓は、初夏には見事に田植えがされた田んぼが連なったりしてなかなかでした。

トリノのお得意様の内の一軒はポー川を越え、小さな峠道を越えた所の町にありました。トリノからレンタカーの時は楽しいドライブでした。トリノという町は観光で行く機会はなかなかないと思われますが、アイスクリーム屋がもの凄く多いという印象があります。駅前にフェラーリオフィシャルショップがあります。私はここでキャップとフェラーリ・バービーを買ってしまいました。(本当に仕事だったの?)

かっとう・・反省  kitamura - 2003/02/23(Sun) 09:44 <URL> No.1032

フレジュストンネルから話が盛り上がって・・・その書き込みを横目にしながら
・・・日曜日の締め切りが近づいてくると、無口になります・・・

旅していると感じることですが、フランスの人とあまり国外で会わないですね。言われてみるとイタリアの人とも。
ドイツ系の人とその国外でお会いすることが多かった・・・

自国内でほとんどまかなえるうフランス・イタリアは、さらにその間の交易量が少なくて・・列車も少ないのでは・・・

ドイツはアルプスを越えての人・物資の流れが多い・・・もともと忙しい人種なのでは?

>新幹線のぞみ号の2本分強です。こんなもんなんですかねぇ。

「日本人も忙しい人種?・・・・」
●「こんなこと思っている自分自身が、もしかするともっと忙しく・・・?」
「なんで?」
「締め切りが・・・」
●「だったら記載量を減らせばいいじゃない」
(昨夜の夢の中の葛藤)

と、「今夜の記載はモン・スニ峠の頂上まで」にすることして・・・この掲示板に向かっています。

●この反省の気持ち、来週も続けられるかなー・・・と、「性格は急に変わらないはず」と・・・あきらめの気持ちも・・・

TGVに関しまして  Mundberg - 2003/02/23(Sun) 15:06 No.1033

romeosierra さん、kitamura さん今日は。

 Paris−Milano 間のTGVに関してですが、このTGVは、時刻表によりますと、Torinoの停車駅は、「Posta Nuova」(突き当たりタイプ)駅ではなく、「Posta Susa」(通過タイプ、方向転換の必要ありません)駅の方となっています。これは、多分、「Posta Nuova」駅まで行くと余計な時間がかかるためと思われます。
 また、ヨーロッパでは、線路幅が在来線と高速鉄道で同じであるため、高速鉄道が在来線を走ります。そのため、TGVといえども在来線区間では、所定の速度でしか走ることが出きません。TGVが高速に走れるのは専用線を走るときだけです。 Paris−Milano 間のTGVの場合、いわゆるTGV速度で走れるのは、Lyon近郊からParis(Gare de Lyon)駅の近郊までの専用線区間だけとなります。時間的には、全所要時間の1/3 以下で、ほとんど在来線を走っているという感じですね。
 今、アルプス通過列車の時間短縮のために、全長54Kmにもおよぶ大トンネルを作る計画が進められていますが、はたして建設費の元が取れるのでしょうか・・・。もちろん、この計画の中には、アルプスの自然保護のため、トラックを貨車に積んで運ぶことが含まれています。

ヨーロッパの物流  kondo - 2003/02/23(Sun) 22:28 <URL> No.1034

kitamuraさん,皆さんこんばんは。

>> 旅していると感じることですが、フランスの人とあまり国外で会わないですね。言われてみるとイタリアの人とも。

む...スルドイご指摘。たしかにそうでした。逆にフランスの南アルプス地域では
オランダやベルギーの人が多くバカンスに訪れるせいか,キャンプ場でも銀行でも英語
がさくさく通じて意外な(笑)気がしたくらいです。

>> 自国内でほとんどまかなえるうフランス・イタリアは、さらにその間の交易量が少なくて・・列車も少ないのでは・・・

私の憶測ですが,こと物流に関してはロッテルダムやハンブルグなど北海沿岸の港湾が大きく
関係しているのではないかと思います。北海対イタリアだとアルプス越えになりますが,
地理的にシンプロンやフレジュスルートよりもゴッタルドあるいはアールベルク→ブレンナー峠
ルートの方が近そうです。フランス−イタリア相互間は,おそらく地中海で船を使うのが
安上がりなのでしょう。

生鮮品や精密機器などはトラックでアルプスを越えているのかもしれませんが,道路トンネル
の事故があちこちで起こるようだと物流ルートの安定確保のために鉄道輸送も考慮されるべき
なのでしょうね。Mundbergさんが指摘されている,「アルプスの自然保護のため」
とは別の観点から。(たしかに,コストが容認できるかどうかが問題ですけど)

>> >新幹線のぞみ号の2本分強です。こんなもんなんですかねぇ。
>> 「日本人も忙しい人種?・・・・」

時間・距離的に東海道山陽新幹線と比較するのはフェアじゃないかもしれませんね (^^;
のぞみ2〜3本分と思うと少ないですが,3000名弱=大型エアバス10機分と考えれば
実は大したものなのかも...

>> ●この反省の気持ち、来週も続けられるかなー・・・と、「性格は急に変わらないはず」と・・・あきらめの気持ちも・・・

そんな舞台裏のご苦労もしらず,こちらは日曜日を楽しみに待つだけ...ゴメンナサイ

TGV 物流など  romeosierra - 2003/02/24(Mon) 00:23 No.1035

Mundberg さん

TGVの停車駅。
そういえば、トリノの筈なのにすぐそばに高層アパートが立ち並んでいる小汚い駅に着いて乗り換えるというパターンがありましたね。そうか、TGVは方向転換しないんですね。勉強になります。

kondoさん
物流。
これは私の仕事でもあるのですが、弊社の場合、日本からの荷物はもう圧倒的にロッテルダム(ユーロポート)行きですね。かってはルアーブルも使ったのですが、今は殆ど全部ロッテルダムです。通関から何から極めて機能的で設備も良く、安心して荷物を送り出せます。倉庫業者さんも充実していてヨーロッパ全域向けの在庫を全部ロッテルダムに集中させるというような日系会社も増えています。内陸輸送は、以前は値段が安いライン河の水運も利用していたのですが、最近は鉄道利用の輸送会社からライン水運に匹敵する安いオファーがガンガンあります。EUになってドイツやフランスのはるか内陸の鉄道利用の物流ステーションに保税倉庫があったりしてその種のサービス付です。伴って40フィートのコンテナ(トラック輸送の場合、この車は長いので追越には注意せよという看板を着けて運んでいる船舶用コンテナ)を効率良く鉄道輸送するシステムが充実しつつあります。

イタリアにはジュノヴァという貿易港があるのですが、日本から直接ジェノヴァに行く船が少ない上、通関が手間取ったりして問題が起きやすく、イタリアのお客様もジェノヴァに着けるのだけはやめてくれと言ったりして・・・・・。

と言うわけで、日本からの物流は日本を出す時に、ロッテルダムでコンテナを開くものと、コンテナごと保税扱いで鉄道で内陸に持って行くものに分けて送り、早いけれどべらぼうに高いトラック輸送は各ステーションからの短距離にのみ使う、と言う輸送方法が一般的と言って良いようです。ほんの数年前までは考えられなかったパターンです。これによる物流コスト削減効果は莫大です。

内陸の貨物輸送における鉄道の効果というのはアメリカで威力を発揮していますが、ヨーロッパでもこれから増えると思います。アルプスを鉄道で越える荷物も増える事でしょう。日本でも鉄道輸送をもっと見直すべきだと思いますが、線路巾の関係で船舶用のコンテナをそのまま載せられないと言う大問題があるようなので限界がありそうです。


山好きのフランス人はどこで遊んでいるか?
あの遊び好きのフランス人が、家でじっとしているわけがないのですが、海が好きなフランス人には安くあげるには地中海か、大西洋沿岸。奮発してインド洋や太平洋、カリブ海の海外県やフランス語圏へとフランス語だけで過ごせる魅惑の土地がいくらでもあります。では、山は?、これもフランスアルプスもさることながら、中央高地やピレネーなどハイキング、本格登山、カヌーなど川遊び、何でも国内にフルセットであるのです。ピレネーは日本からだと遠いですが、パリからだと半日行程なんですね。なんでスイスくんだりまで行かねばならんのでしょうか?
あのどこでも出くわす、黄色のオランダナンバー、白地に赤のベルギーナンバー。そして右ハンドルの英国車。彼らの国にはそういう遊びの場所が少ないから故ではないでしょうか。
(すっかりフランスかぶれのromeosierraでした)

Re: TGV 物流など  kondo - 2003/02/25(Tue) 01:05 <URL> No.1039

romeosierraさん,こんばんは。

プロの方から現場のリアルなお話を伺えるとは...感激です。
物流システムも大変革のさ中なんですね。地理の教科書も書き換えられてしまうほどの。

>> イタリアのお客様もジェノヴァに着けるのだけはやめてくれと言ったりして・・・・・。

ジェノヴァといえば,TVアニメの「母をたずねて三千里」見ながら育った世代としては
そんな状況だとは意外なんですが...イタリアらしいというかなんというか。

>> 山好きのフランス人はどこで遊んでいるか?
>> ...

なるほど。たしかによく一緒に仕事したフランス人スタッフはバカンスになるとセイシェル
に通っていました。他にもレ・ユニオンだのアフリカ大陸だの。
彼らにとっては「日本」が,毛色の変わった旅行先みたいです。物価が高くて彼らの好む
長期滞在は出来ないそうですが。そのスタッフはよく日本にも仕事で来ていましたが,かなりの
日本通でカップうどんの「ごんぶと」をちゃんと湯切りして食べてたり,沼津駅の鯖寿司を
サヴァ,ビヤ〜ンとかいいながら嬉しそうに頬張っていたり...(←それが「通」か?)

工事中止だそうです  yuki - 2003/03/01(Sat) 05:06 No.1048

話題になっていたモンスニ峠のリヨンートリノ間の鉄道の拡張工事、予算不足のため中止になりそうだ、という2月27日付けのニュースを以下のサイトで見ました。(私はニュースレターを購読しています。)http://www.alpmedia.net/index_noflash.html

パリからイタリアまでの走行時間が短縮できればいいのにな、、と願っていたのでがっかり。

Re: 今週のUP:2/16  kitamura - 2003/03/02(Sun) 06:11 <URL> No.1049

>・・モンスニ峠のリヨンートリノ間の鉄道の拡張工事、予算不足のため中止になりそう・・

世界的な「経済停滞」で・・・仕方ない?ですね
Alpmedia.net・・・はじめてみましたが、経済と環境は一体
とすると、「自然環境の破壊も・・・停滞」
と考えると・・・・いい面もあるのかもしれません。

時間をスローに引き延ばして、僕たちも生きていくしかないのでしょう。
体力劣化は、からだ動かして・・・維持して?訓練で強化できる?・・・口では簡単・・・いざ実行は難しい!!


今週のUP:2/9  kitamura - 2003/02/12(Wed) 11:41 <URL> No.1012

「今週のUP」の書き込みが3日も遅れてしまうこのごろです。月・火曜日はPCから離れようとしている?わけでもないのですが・・・

●チェザーナ・トリネーセへの渓谷道の眺め・・・
これを書き込む前に、Mundberg さんからのMt.Pelvoux(3946m)山だという情報・・・嬉しかったです。(地図で解説しました)

●モンジュネーヴル峠・・・本当にEchelleエシェル峠(1766m)に
は行きたかったんですが・・・またの機会ですね。次はバイクで行こうかな???体力あるの??

●Elliさんに指摘してもらった「羊/ひつじ/Sheep、山羊/やぎ/Goat」・・・今まで全部「山羊」になっていました。・・・
一目で分かるのは「尾が植えを向くか、下に垂れ下がっているか」で、
TV見ていて、MIXしているシーンが多いですね。
性格の違う2種を混ぜることで、飼育しやすい?のでしょうか。

またオセアニアに比べて羊毛の収穫が少ないのも・・・?です

●霧の件、追加記述しました。Mundberg さん、皆さんからも、文などで指摘ありましたら、よろしくお願いします。

羊のチーズ  yuki - 2003/02/13(Thu) 04:55 No.1013

羊とヤギの区別、勉強になりました。

羊のチーズの総称はフランス語でbrebisブルビです。ペッコリーノはイタリアのチーズですね。フランスではピレネー、バスク地方とその隣のベアルン地方で羊がたくさん見られます。牛のチーズより値段は高め。

ヨーロッパの統計はどちらから?私の印象としては、フランスやアルプスより、イギリス(特にスコットランド)に羊がたくさんいるように思うのですが。国別の統計もありますか?

羊の件・・・  kitamura - 2003/02/13(Thu) 11:46 <URL> No.1014

yukiさんこんにちは。
表をメンテしました。

>統計はどちらから?
『The Encyclopaedia of Animals 動物大百科:10-家畜、4-大型草食獣』D.M.ブルーム編 平凡社1991年で、
データは1982/1979年FAOなどを使っているようです。

>フランスやアルプスより、イギリス(特にスコットランド)に羊がたくさんいるように思うのですが。国別の統計も・・?

 頭数(100万頭)/肉(1000t)/羊毛量(1000t)/乳(1000t)は
イギリス:32/255/52/0
フランス:13/175/22/1082
スペイン:15/140/21/209
とのデータがありました。●イギリスでは羊の乳は収穫しないんですね??

ヨーロッパの羊の1頭当りの毛の量(集める量)が、オセアニアの羊の約1/3の理由は、オセアニアが主に羊毛のために飼育しているのに比べ、近年のヨーロッパでは乳と肉のために変化し、羊毛生産が減少したからだそうです。

山羊のチーズの秘密  romeosierra - 2003/02/15(Sat) 01:13 No.1015

kitamuraさん、yukiさん。

羊じゃなくて山羊の乳のチーズの話ですが。
フランスの代表的な山羊の乳のチーズ Roquefor はフランスの中央山地の南部の村、Roquefor の産ですが、その北にあるMillau(ミヨー)という町は子羊(キッド)の皮製品、特に手袋で有名だそうです。さて、お母さん羊の乳を世界に響くブランドものチーズにする位横取りされた、子羊さん達の運命は・・・・・・・・?。

kitamuraさんの羊の統計からも、イギリスでは生まれた羊は全部(ある程度までか?)大きくして利用する。フランスでは乳を利用する為にある程度は子羊のうちに・・・・・・。という図式が浮かび上がってくるような気がします。

子羊のスペアリブなど美味ですが長さ10センチあまりの可憐なあばら骨は痛々しいですよね。そのあばら骨をお皿の上の装飾として盛り付けてしまうフランス料理の凄さ。日本人の魚料理への美意識を感じてしまいます。


チーズ・肉・魚・飽食・・  kitamura - 2003/02/16(Sun) 10:06 <URL> No.1016

>・・乳を・・チーズに横取りされた、子羊の運命は?

フランスは子羊のスペアリブ・・・、イギリスは大きくして肉に・・・、日本は魚を・・・

人類は生きるため、増殖するため・・・
いろいろな動物・植物達を捕らえ、育て、調理し食べてきたんですね。

飽食ということばを最近あまり聞きませんが、
 有り余るほど食べて・・ 太って・・ ダイエットする・・・・地球全体からすると、どの程度の比率の人たちが、そんな生活をしているのでしょう?

Re:チーズ・肉・魚・飽食  minakata_h - 2003/02/16(Sun) 17:53 No.1017

kitamuraさん、皆さん、こんにちは。

ここへ書き込みさせていただくのは久しぶりかも知れません。とは言いましてもアップは毎週末楽しみに拝見させていただいてます。

憧れのagnel峠の旅行記もたっぷり楽しませていただきました。一昨年のフランスアルプス縦走時には日程の関係で断念せざるを得ませんでしたが、詳しく紹介していただきますとますますその想いは募るばかりです。今年の旅程に組み入れるのも無理ではないかも・・・、その時は私に残された使命としてイタリア側からの登坂を試みてみたいものです。

> ・・乳を・・チーズに横取りされた、子羊の運命は?
仔羊(些細な事ですがフレンチの世界では「仔」の字を用いることが多いようです)はフランス料理では好んで使われる食材の一つですから需要はあるのでしょう。特に生後3〜4週までの乳だけで育った仔羊(agneau de lait)は最高級食材の一つですね。

> 有り余るほど食べて・・ 太って・・ ダイエットする・・・・地球全体からすると、どの程度の比率の人たちが、そんな生活をしているのでしょう?
地球上で飽食の国は今だってごく僅かのはずですよね。
歴史上人類はず〜と長い間飢餓との戦いで体内には血糖値を上げるホルモンは数多くあるのですが、逆に血糖値を下げるホルモンはインスリンの一種類だけなんです。すなわち飽食からの糖尿病などは神様ですら想定していなかった病気のようですね。


Col de Montgenevreに関しまして  Mundberg - 2003/02/10(Mon) 23:59 No.1010

 kitamura さん 今晩は。
 Colle Sestriereの下りで撮られた、写真253.jpg 拡大すると・・の右の方の山の間に写っています遠くの雪をいただいた山は、ゼクラン山群の Mt.Pelvoux(3946m)ですね。 本当に天気が良かったんですね。
 なお、ロンバルディア平原の西部一帯の霧の発生原因は、やはり地形だと思われます。あのあたりは、アルプスが弓なりに曲がっていて3方を山に囲まれている状態です(南も地中海間際に山があり、飛行機から見ると、霧は地中海間際の山まで達しています)。従いまして、空気の移動が少なく、昼間に暖められた空気が夜間にアルプスの冷気に冷やされて霧となる・・。また、アルプスから流れ出る水により、空気中の水分も多いことも原因と思われます。すなわち、霧の発生原因は、アルプスそのものといっても間違いないのでは・・。
 後、偶然ですが、先週のNHKの「Primo Levi(トリノの住民でした)」に関する番組で、トリノの展望台からアルプスを撮影した場面が放送されていました。モンヴィーゾも写っていましたよ、ご覧になりましたか・・・? 以上です。


霧の発生原因など  kitamura - 2003/02/12(Wed) 10:13 <URL> No.1011

Mundberg さん 、情報ありがとうございます。

>遠くの雪をいただいた山は、ゼクラン山群の Mt.Pelvoux(3946m)です・・

どこの山だろうと思っていたので拡大したのですが。嬉しいです。早速追記で地図を入れてみます。
−−−

>ロンバルディア平原の西部一帯の霧の発生原因は、やはり地形だと思われます。・・・・3方を山に囲まれ・・・昼間に暖められた空気・・・アルプスの冷気に冷やされ・・空気中の水分も多い・・

どこかで解説を読んだんです。ところがその出所がわからなくて・・・ありがとうございました。鳥瞰図からもそのことが分かりますね。(同じく追記してみます)
ドイツ上空からアルプスを鳥瞰した絵
−−−

>先週のNHKの・・トリノの展望台からアルプスを撮影した場面が放送されていました。ご覧になりましたか・・・?

残念ながら見ませんでした。


峠と関係ないのに  Elli - 2003/02/05(Wed) 08:28 <URL> No.1007



ひなたぼっこ名大好きな我が家のねこたち連れてきてしまいました。クリックするとスライドショーに。ねこの3作目。三つとも
違うかわり方をするので、短いし、息抜きにご覧になりませんか?

ネコのスライドショー  kitamura - 2003/02/05(Wed) 09:22 <URL> No.1009

すばらしいスライドショーです。
Elliさんは、これにすっかりはまったように見えますね。

昨年は、フォトショップで、毎日のホームページ(top-page)更新でしたね。
次はきっとjavaの大家に、そしてソフトウェアの大家になるでしょう。


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