[リストへもどる]
一括表示
タイトルフランスのアルプス以外の峠紹介
記事No590
投稿日: 2009/07/23(Thu) 09:21:32
投稿者romeosierra3
*-*:2009.6-7Yahoo-BBSにromeosierra3 さんが投稿した情報集約

タイトルCol de la Schluct シュルクト峠 1139m
記事No591
投稿日: 2009/07/23(Thu) 09:22:18
投稿者romeosierra3
Col de la Schluct シュルクト峠 1139m

フランスのロレーヌとアルザスの間のあるボージュ山脈を越える峠のうち最も高い峠。
ロレーヌ側に雪が多い峠で、頂上付近には規模は大きくないがスキー場もある。

Gerardmer(ジェラルメー;春先の水仙がきれい)とMunster(マンステール;フランスチーズ軍団のつわもの、マンステールチーズの産地)を結ぶ古い峠で、シュルクト(岩)という名の通りかなり険しく麓のマンステールとの標高差は約900m、道路番号にNが付くフランス国道ではボージュ山中で唯一標高1000m以上になるが大型トレーラーも越える。ドイツ語の名前であるところにアルザスの複雑な歴史を感じさせられる。第一次大戦では独仏国境として、第二次大戦では米仏軍の雪のボージュ越えと、とも激戦の舞台になった。

Munsterは密林の聖者アルバート・シュバイツァー博士が初等教育を受けた町、博士は近くのカイザースベルグの生まれで夫人ともども生粋のアルザス人である。

タイトルPuerto de Ibaneta イバネタ峠 1057m
記事No592
投稿日: 2009/07/23(Thu) 09:23:05
投稿者romeosierra3
Puerto de Ibaneta イバネタ峠 1057m

ピレネーの北の端、大西洋に近い辺りのフランス/スペイン国境、バスクのナバラ地方にある峠。
国境そのものはフランス側の登り口にあり、峠はほぼ全部スペイン領にある。
ヨーロッパ各地から始まった巡礼の道は、この峠の東にあるフランス領のSt Jean-Pied de Port(サン・ジャン・ピエドポー)辺りで一本に集まってこの峠を越え、遥かサンチャゴ・デ・コンポステーラに向かう。その巡礼の道は、熊野古道とともに道そのものが世界遺産になっている。
峠は車で越えるのならそれほど険しくはないが、徒歩の巡礼者にとっては十分な障害で、頂上にあるサン・サルバドール教会には悪天候の時旅人に教会の所在を告げる鐘、無事峠を越えられた巡礼が、神への感謝に奉納した十字架が無数に立てられた塚がある。
また、峠をスペイン側に下る途中のサンチャゴ教会には12世紀の建物も残る巡礼の支援施設が現役である。
峠の頂上周辺はヒースが咲く丘が広がる気持ちの良い高原であり、ハイキング道があちこちに伸びている。
また、この峠は778年フランク王国のカール大帝のスペイン遠征時の古戦場である。

タイトルCol du Tredudon トレデュドン峠 361m
記事No593
投稿日: 2009/07/23(Thu) 09:23:54
投稿者romeosierra3
Col du Tredudon トレデュドン峠 361m

ブルターニュ半島の先端に近い中央部、D785とD764が交差する付近の側道D36にある峠。
標高たった361mであるが、伏せたお皿状の地形である上、一面ヒースに覆われているため、すぐ近くの標高371mの展望台からは360度の展望が利く。
フランスの北西部にあって大西洋に突き出しているブルターニュ半島は最高点が471mに過ぎないのであるが、緩い起伏に富んだ地形で、コルの標高200m台の峠が沢山ある。
この峠の20Km北にあるSt Thegonnec(サン テゴネック)村は、農村にカトリック教義を根付かせる為の宗教施設『囲い地』が原型をとどめて残っており、日本でも研究者の間では有名であるようである。
ブルターニュ半島は、ケルト語地域でフランス語以外にケルト語も公用語として認められており、道路標識もフランス語との二ヶ国語表示で、ブルターニュの国籍ワッペンを付けている車もある。つまり、ブルターニュ独立運動も(半ば冗談ではあるが)あるのである。ケルト文化の象徴としてフランス唯一のウイスキーの蒸留所もある。

タイトルCol de Prat Payrot パイロ峠 1380m
記事No594
投稿日: 2009/07/23(Thu) 09:24:47
投稿者romeosierra3
Col de Prat Payrot パイロ峠 1380m

フランス中央山地の峠。アルプスとピレネー以外の所にあって車が通過できるフランスで一番高い峠である。
近くに日本でも知られている適当なランドマークが無いのであるが、二つの岩搭の町ル・ピュイの約100Km南、ミヨー大橋の約60Km東にあたる。
この峠を分水嶺として西/北斜面はタルヌ川水系となる。タルヌ川本流はもっと北で高原をえぐって大渓谷を作りながら南西に向かって流れ、Millau(ミヨー)で高速道路A75にかかる『エッフェル搭より高くシャンゼリゼより長い』ミヨー大橋を潜る。ミヨー近くには山羊乳のブルーチーズの産地ロックフォー村がある。
峠はかろうじて森林限界線より上にあり、大変見晴らしが良い。私が通過したのは厳冬期で、約5センチのパウダースノーの中のドライブだった。

タイトルCol du Tourmalet  ツールマレ峠 2115m
記事No595
投稿日: 2009/07/23(Thu) 09:25:29
投稿者romeosierra3
Col du Tourmalet  ツールマレ峠 2115m

フランス・ピレネーで車が通過できる一番高い峠、ピレネー全体でも車で通過できる二番目に高い峠。ピレネーで一番高いのはアンドラ共和国にあるPort d’Envalira エンバリラ峠 2407m。

ツールマレ峠の名はツール・ド・フランスとセットになっており、アルプスのイゾアール峠と共にツール・ド・フランスが毎年必ず通過する峠である。従って、自転車で峠越えするのを趣味にしている人達にとっては聖地であるため自転車が非常に多く、ドライブには注意を要する。
ピレネー山脈中央部の東側山肌を東西に走っている峠で、どこからどこまでをツールマレ峠とするのかは難しいが、他の道路から峠への分岐から頂上を越えて反対側の分岐までとすると全長35km、西側の登り口のLuz St Sauveurとの標高差は1435m、平均斜度8%と、アルプスの大峠に伍する堂々たる峠である。峠全体がスキー場としてくまなく開発されている感があり、特に西斜面には大きなスキーリゾートがある。
頂上を西に少し下がったところからロープウェイが出ていて、標高2877mのピーク・ド・ミディ展望台に行ける。
2000年5月に出来たこのロープウェイはスイス製の大型ゴンドラで運行する大規模な観光施設で、頂上駅も広々としたレストラン、みやげ物屋、展望デッキを備えている。その名の通りピレネーの真ん中にあるこの展望台からのピレネー山脈の眺めは素晴らしい。

大きくは聖なる泉の町ルルドから南進してピレネーに入り、峠に取り付くのであるが、Luz St Sauveurで峠に入らずに更に南進すると、ピレネー一の景観の呼び声高い、1000m以上の垂直の絶壁に半円形に囲まれたシーク・ド・ガバルニーに行ける。この付近にはピレネー分水嶺を越えてスペインに出られる峠は無く、どうスペインに向かうにせよ、フランス領内で大小の峠を越えての横走りを強いられる。

タイトルCol do Bonhomme ボノム峠 949m
記事No596
投稿日: 2009/07/23(Thu) 09:26:13
投稿者romeosierra3
Col do Bonhomme ボノム峠 949m

フランスのロレーヌとアルザスの間のあるボージュ山脈を越える峠のうち二番目に高い峠。
Bon homme=善き男、という面白い名前。

シュルクト峠の北に位置し、ロレーヌのSt Die(サンディー)とアルザスに入ってKaysersberg(カイザースベルグ)経由でColmar(コルマール)という二つの主要都市を最短距離で結ぶ幹線で、シュルクト峠より交通量は多いと思われる。シュルクト峠ともども冬は除雪と塩撒きで通年の交通が確保されるが、除雪残りや路肩、駐車場に踏み込んだ時、日陰の凍結対策から冬はスタッドレスタイヤの方が無難である。
アルザスからこの峠を越えてロレーヌに入ると、クリスタルガラスのバカラやアールヌーボーのナンシーは近い。

ボノム峠からシュルクト峠を経てボージュの稜線道路を南下する道路は非常に気持ちの良い高原道路で、夏は両側にジギタリス、ヤナギランなどの花咲き乱れ、ブルーベリー摘みの楽しみもある。このブルーベリーはミルティーユというつる草に近い背の低い潅木の実で、摘むには四つん這いの重労働であるが、畑に栽培されているブルーベリーより小粒でパンチが効いた味がする。ミルティーユはアルプスにもあって秋には紅葉するので、基本的に黄葉で赤くなる葉が少ないヨーロッパの山の秋の彩りになる。

カイザースベルグはシュルクト峠編で紹介したようにアルバート・シュバイツァー博士の生地で、生家は現在博物館になっている。シュバイツァー家は生まれて間もなくマンステール近郊の村に引越し、アルバート少年はマンステールで初等教育、ストラスブールで高等教育を受けた。最初に学んだのは『自分がやりたかった事』で神学と音楽、医学は30歳を過ぎてから『他人の為に役にたつ事』として学んだ。博士は(野口英世のような)医学者ではなく純粋に臨床医であった。

ボノム峠も第二次大戦時の米仏(自由フランス軍/フランス国内軍)のアルザス進撃路で、ボノム峠出口を制するカイザースベルグでは戦車を投入しての市街戦も行われ、今でも弾痕が残る建物がある。町そのものは戦前の姿に修復され、観光客に人気のあるワイン村である。
アルバート・シュバイツァー博士の生家は博士ゆかりの品を展示した博物館になっている。

タイトルCol de Soular 、Col D’Aubisque
記事No597
投稿日: 2009/07/23(Thu) 09:26:58
投稿者romeosierra3
Col de Soular 、Col D’Aubisque

ピレネーの北側山腹を大局に見ると、分水嶺に平行に西からオービスク峠、ソーラー峠、ツールマレ峠と並んでいる。
ルルドから南に向かうフランス国道N21からツールマレ峠への分岐の約20Km手前で西に分岐するとソーラー峠にとりつく、この峠は標高もそれほどではなく、峠の頂上も広々していて牛が遊び、ハイキング道が縦横に走っているのどかな風景である。かまどの中で芯材を回しながら種を巻き付け焼いて太らせて行く原始的なバウムクーヘンともいうべきお菓子を売っている屋台が出ていた。

ソーラー峠(1474m)からオービスク峠(1740m)に向かう道は、フランス・アルプスの地中海寄りに見られてモンテカルロ・ラリーの映像に出てくるような崖の中腹を削ったいわば絶壁の車によるトラバースである。長さ約4Km、道幅は最徐行してのすれ違いが出来る程度、センターライン、ガードレールは無く、右がオープンで崖際に車が飛び出さない程度の間隔で低い角石が置いて有り、右側通行のソーラー峠からオービスク峠に向かう車にとってはこれが命綱になる。助手席からは覗き込まなくても崖下が良く見えるという。その代わり道路からの右前方の景色は素晴らしい。勿論夜間通行禁止で、暗くなりそうな時間帯になったら進入してはいけないという立て看板がある。

オービスク峠も大きく視野が開けた景色の良い峠である。
アルプスではこの程度の2000mに満たない峠であると直ぐ脇に高い山があって見晴らしが無い事が多いのであるが、ピレネーでは2000m以下でも森林限界線さえ越えていればおしなべて峠からの風景は良い。

オービスク峠を西に降りると標高523mのLarunsと言う町で南に向かう地方道D934に出る。ここから約30Km景色が開けない谷底の道をひたすら登るとCol du Pourtalet ポータレ峠 1794mを越えてスペインに出る。国境と言っても昔の税関の建物跡があるのみで何もする事無くスペインに入れる。
ポータレ峠の約10Km西をイバネタ峠と並ぶもう一本の巡礼の道、Col du Somport 1650mがピレネーを越えている。
ポータレ峠を越えて入るスペインは、巡礼の道とも有名なアラン谷とも谷筋が違っており、秘境の雰囲気が十分残っている。

タイトルCol du Ballon バロン峠 1173m
記事No598
投稿日: 2009/07/23(Thu) 09:27:41
投稿者romeosierra3
Col du Ballon バロン峠 1173m

バロンとはバルーン、即ち風船峠で、侵食が進み真ん丸のピークが風船に例えられての命名である。ボージュ山脈の山並みそのものを指す言葉でもある。

ボージュ山脈の最南端にあり、シュルクト峠より高いが、この峠は、天気が良ければスイスアルプスも遠望できる展望台Ballon d’Alsace=バロン・アルザス1178mに至る半ば観光用の道路で、バロン・アルザスに用事が無い人は通らないと思われる。ただし、北から南に通過できるのでkitamura師匠の定義によってボージュで車が通過できる一番高い峠と言っても良い。

バロン・アルザスは北側を通る幹線峠のCol du Bussang 1018m(ボノム峠より高かった!、ごめんなさい)からのアプローチ道路がほぼ通年通行を確保されるのに対してバロン・アルザスを通過して南に降りるバロン峠は除雪されないので、積雪期には登ってくる車は無く、峠の下り付近は雪の峠道運転練習に最適で、シーズン初めには雪踏みに通った。

Col du Bussangはロレーヌから南部アルザスの都市ミュールーズに至る峠で、途中のThannの教会の尖塔はアルザスで一番美しい搭と言われている。またアルザスのワイン地帯はここから北に広がっており、Thannはアルザス・ワイン街道の南側の基点になる。ロレーヌ側は雪が多く、スキーによるトレッキングコースが数多くある。
この峠も第二次大戦末期の米第7軍のアルザス進撃路になった。

バロン・アルザスには第一次、第二次大戦の激戦地ボージュ山中の地雷除去作業完了の記念碑がある。ボージュ山中での、花摘み、ミルティーユ摘み(ブルーベリー)、きのこ狩り、ハイキングなどで安全に入れるようになったのは1950年代であり、地雷除去作業では犠牲者も出たという。

ミュールーズの国立自動車博物館は必見である。常時展示台数は500台以上で世界一、130台に及ぶブガッティのコレクション、戦前のグランプリ・レーサー群、歴代のル・マン優勝車を含む戦前戦後のレーシング・スポーツ・カーやフォーミュラー・カーなどが元織物工場の広大な屋内ワンフロアに展示されており、壮観である。
アルザスの代表産業であった織物工場のオーナーのコレクションであったものを会社倒産による散逸の危機からフランスが国家買上げという荒業で救ったもので、国立になってからもコレクションは増やされている。

現在のアルザス最大の工場は、ミュールーズ郊外にあるプジョーの組立工場で、105、205といった小型車を生産し、プジョーのドル箱であるという。プジョーの完成車を満載した長大な自動車輸送列車が走る姿はコルマール近辺ではお馴染みである

タイトルCol de la Perche ペルシェ峠 1579m
記事No599
投稿日: 2009/07/23(Thu) 09:28:31
投稿者romeosierra3
Col de la Perche ペルシェ峠 1579m

ピレネーから地中海に近い都会ペルピニャンに向かって下るフランス国道N116の峠。
フランスからアンドラ国境に至るCol de Pymerens 1915mの真下にある標高1515m、長さ4820mのピメレン・トンネルを抜けてから概ね1500mから1300mの高原を50Km余りも走ってからさしかかる1579mの峠なので、ピレネー側からの登りはあんまり実感がないが、地中海に向かってはペルシェ峠頂上からいきなり約100Km先の海までの長い下りになる。
N116のペルシェ峠にさしかかる25Kmくらい手前に一番狭い所は2kmにも満たない距離でスペインの飛び地がある為、道路の左右両側がスペイン領という不思議な場所を通過する。飛び地と言うのは外国の領土内に島状に存在する領土の事で、ボーデン湖付近のスイスとドイツの国境の入り組みの中にも存在する。日本にも県の飛び地というのがある。

この峠は自動車峠としてより、平行するフランスの小海線、Le Petit Train Jaune=プチトランジョーヌがフランス国鉄最高点1593mを通過することでフランスはもとより、ヨーロッパの鉄っちゃんの間では有名だという(日本のJR最高点は小海線の清里−野辺山間、国道141の踏み切り付近で1375m)。

私がここを通ったのは 1997年1月3日大寒波の大雪の日で、スタッドレスタイヤとはいえ道路上において殆どバンパーの線までの積雪に普通のFRセダンで命かながらのドライブであった。